「創価学会の誤り」カテゴリーアーカイブ

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『慧妙編集室 編』

三十一、衆議院選挙で大惨敗(だいざんぱい)した創価学会

学会員の皆さん、平成二十一年八月の衆議院選挙では非常に厳しい活動を展開することとなり、本当に大変でしたね。幹部からの締(し)め付(つ)けもさぞかし凄(すさ)まじかったものと、心労をお察しいたします。
平成二十一年の衆院選は、投票率六十九・二八%と国民の関心も非常に高く、多くの人が政権選択の意思を明確に持って一票を投じた、たいへん有意義な選挙でありました。
その中で、公明党は、小選挙区で太田代表・北側幹事長・冬柴元国交相と、党首脳を含めた八人全員が落選し、議席数を約三分の一も減らして野党に転落するという、結党以来の歴史的大惨敗となってしまいました。
この結果を、皆さんはどのように感じていらっしゃるのでしょうか。
振り返ってみれば、秋谷前会長がかつて、
「自民党が二百数十議席あろうと、最後に(中略)公明党ですべての重要法案が決まってしまう。(中略)日本の命運を決していくのが創価学会・公明党である。創価学会・公明党によって、がっちり握(にぎ)られているのが今の日本である」(平成三年十二月)
と述べていたとおり、弱体化した自民党が公明党に依存したことにより、近年の日本の政治は、 ”がっちりと創価学会・公明党に握られている状態” となっていました。
一方、聖教新聞では、連日、創価学会の発展を自画自賛(じがじさん)し、「池田センセーの偉大な功績を、日本のみならず世界が絶賛している」と勲章(くんしょう)や称号(しょうごう)の数を誇(ほこ)ってきました。そして、その情報を鵜呑(うの)みにしてきた会員達は、 ”創価学会は、世界を平和へ導く希望の光であり、世界中の人から愛され、称賛されている” と錯覚(さっかく)させられ、「それが、創価学会が正しいという証拠だ」とまで教育されてきたのです。
しかし、実際の社会情勢は、どうだったでしょうか。創価学会・公明党が政権にがっちりと食い込めば食い込むほど、経済危機の深刻化は言うに及ばず、犯罪の横行(おうこう)、災害の頻発(ひんぱつ)、失業者の増大、自殺者の増加等々、世情は混迷(こんめい)を極(きわ)めていく一方でした。そして、その被害は、多くの学会員にも降りかかってきたのです。
こうした現証(げんしょう)が顕著(けんちょ)であるにもかかわらず、学会員の皆さんが創価学会に疑問を感じないとすれば、よほどのうっかり者としか言いようがありません。
平成二十一年の衆議院選では、多くの国民が創価学会にこの国を牛耳(ぎゅうじ)られることを拒(こば)み、「NO!」を突きつけた結果、公明党は、前回の衆議院選挙の時よりも九十万票もの得票数を落としたのです。学会員の皆さんは、この現実を直視すべきです。
池田大作はかつて、世間のマスコミ取材に答えて、「私は最高権力者になる」(『現代』昭和四十五年七月号)などと能天気(のうてんき)なことを言っていましたが、もう、そのような野望は潰(つい)えた、と言っても過言ではないでしょう。
池田の権力欲のために、信仰心を利用され、選挙へと駆り立てられてきた学会員の皆さん、今こそ、あなたも目を覚まし、エセ仏教・池田創価学会に「NO!」を突きつけましょう!

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『慧妙編集室 編』

三十、また一つ証明された学会のウソ

「宗門は衰亡(すいぼう)の一途、登山に行けば地獄のようだ」と教え込まれている学会員の皆さん、もう学会のウソに騙(だま)されてはいけません。皆さんが、学会のウソに騙されているうちにも、宗門は衰亡するどころか、確実に興隆(こうりゅう)・発展を続けています。
平成二十一年七月二十六日には、総本山大石寺において、全国の法華講員・七万八千四百二十三名が集(つど)い、総会を開催しました。これは、平成二年の総会から見ると、約二倍の結集です。それを見ただけでも、宗門の躍進(やくしん)ぶりをうかがい知ることができるでしょう。
総会当日の大石寺は、長引く梅雨の中にありながらも、数日来の雨が上がり、まるで天も寿(ことほ)いでいるかのような、爽(さわ)やかな好天に恵まれました。天気予報では ”雨” のはずだったのに、本当に不思議です。集まった人々の顔も皆、歓喜で輝いていました。
それでも創価学会では、この総会のことを、「諸天の加護なき邪宗の証明」とか「蒸し風呂状態」とか「熱したフライパンの上に座らされているような感じ」などと、ウソ八百を書き立てて宣伝しているのですから、呆(あき)れてしまいます。
その場に参加した人たちの中には、創価学会をキッパリとやめて、 ”心のふるさと・大石寺” に戻ってきた方々も、大勢いらっしゃいました。そして、誰もが、天気予報を覆(くつがえ)す「諸天の加護」に感動し、さらには、会場に設置された機材から吹き出る、心地よいミストの風や、全員に配られたカチ割り氷など、きめ細かい配慮に感激をおぼえていたものです。周到(しゅうとう)な準備・計画がなされていたおかげで、市内の交通渋滞や会場の混乱もなく、本当に良い登山となりました。
「学会の宣伝はウソばっかり!」ということが、また一つ証明されたのです。
今までも、創価学会は、「桜は切られて一本もない」とか「登山したら何十万円も請求された」とか「日顕(上人)は車イス生活をしている」などと、お山に行けば誰でもわかるウソを、平気で流し続けてきましたが、なぜ、そこまでウソをつかなければならないのでしょうか。
その目的は、他でもない、創価学会員である皆さん方を騙すためである、ということに、早く気づいてください。
「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略(ぼうりゃく)じゃないか。一般社会だって利益(りえき)のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ。」(扶養研修所での池田指導=昭和五十一年六月一日)
創価学会は、組織を守るために会員にウソ(方便・謀略)を乱発してきたのです。こんな教団に騙され続けて、一生を棒に振ることのないよう、あなたも早く脱会して、大石寺に帰りましょう。今まで騙されていたことを、自分の目で確認できますよ。

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『慧妙編集室 編』

二十九、「唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈(けちみゃく)」否定は恐ろしき大謗法(だいほうぼう)

現在の創価学会は、「大聖人直結(ちょっけつ)」を主張し、自分達で勝手に本尊を作り、勤行のしかたも改変し、邪宗も容認して、語られるのは池田大作サンの礼賛(らいさん)と選挙のことばかり、といった状況です。昔から学会で信心してきた方の多くは、内心、あまりの変貌(へんぼう)ぶりに違和感を感じているのではないでしょうか。
かつて、正信会(しょうしんかい)(※昭和五十年代半ばに日蓮正宗から破門された異流義(いりゅうぎ)集団)が、自分達の命脈(めいみゃく)をつなぐために、御法主上人(ごほっすしょうにん)の血脈(けちみゃく)を否定しましたが、その時、池田サンは、「これは恐ろしき謗法(ほうぼう)であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解(しんげ)していない証左(しょうさ)なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
(『広布と人生を語る』第三巻294ページ)
と、正信会の邪義(じゃぎ)を破折(はしゃく)していました。
ところが、創価学会が破門されるや、池田サンは、無節操(むせっそう)にも
「今までと違って、民衆を虐(しいた)げる悪(あ)しき権威(けんい)や、迷信的な化儀(けぎ)・形式、供養の強要などの、一切の鉄鎖(てっさ)から解き放たれて、自由に、自在に、伸び伸びと、広布の天地に駆けることができる」(聖教新聞 平成三年十二月十八日付)
と。つまり、「恐ろしき謗法」だったはずの「血脈付法の御法主上人を離れ」ることを平気でなし、自由自在になった、と喜んでみせました。
さらには、
「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞 平成五年五月五日付)
「成仏は自分自身の『信心』で決まるのであって、『聖職者』の介在によって決まるのではない。『直接』こそ仏教本来の在(あ)り方(かた)である。『日蓮大聖人直結』の創価学会の信仰こそが正義なのである」(同 平成六年六月五日付)
と、血脈によって正しい仏法が伝えられることを否定し、『大聖人直結』と称する ”池田宗” を打ち立てたのです。
しかし、第二祖日興上人は、「大聖人の直弟子(じきでし)などと言う者は、大謗法であり、無間地獄(むげんじごく)に堕(お)ちる」(『佐渡国法華衆(さどのくにほっけこうしゅう)御返事』・取意)と断言され、 ”直結信仰” を厳しく誡(いまし)められています。
そうした誡めを無視し、「直結」を旗印にして仏法を意のままに曲げてしまう創価学会は、仏法を惑乱(わくらん)し地獄へと誘(いざな)う大謗法団体です。そのような団体からは、早く抜け出しましょう。

KC420202
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『慧妙編集室 編』

二十八、選挙違反にならないように、くれぐれもご用心を!

皆さんは、過去の選挙戦で、選挙違反により学会員が幾人も逮捕されたことをご存知でしょうか。たとえば、二〇〇一年の参院選では、全国各地で「F」を車に乗せるなどして不在者投票に連れ出し、公明党の候補者名が書かれたメモを渡して、その人物の名を書くように依頼し、不当な投票干渉(かんしょう)をする、という共通の手口で、婦人部副本部長(当時)を筆頭に支部幹部クラスが複数、逮捕されています。
「え?それって違法なの?」と思う方がいるかもしれませんが、特定の政党支持者による投票所への連れ出し(投票所までの拘束(こうそく)と投票の強制)や、ダメ押し(投票直前での投票要請や示唆(しさ)、そして投票後、個人的に「ちゃんと〇〇党に入れてくれた?」「〇〇さんと書いた?」などとしつこく聞き出すこと(投票の秘密の侵害)も、公職選挙法違反になります。買収(菓子折や缶ジュース等も含まれる)、戸別訪問、事前活動、当日運動も、れっきとした選挙違反です。あなたも、知らないで違法行為に加担(かたん)してしまっていませんか。
創価学会の選挙違反は今に始まったことではなく、学会内では「法難」と位置づけ神聖化されている ”大阪事件” では、集団戸別訪問、さらに ”タバコ戦術” として、職安十数ヵ所で日雇(ひやとい)労務者に候補者名を書いたピースなど約四千個をバラまき、二十人の学会員が有罪となっているのです。
また、昭和四十五年の ”新宿区集団替え玉不在投票事件” では、学会員がアパートやマンションの郵便受けから他人の投票用紙を盗(ぬす)み、これをもとに公明党区議が選挙人名簿で年齢等を調べ、同じ齢恰好(としかっこう)の学会員に不在投票させました。その数、数千票という、選挙史上、空前絶後の悪質な違反です。
昭和四十四年七月に起きた ”練馬区投票所襲撃(しゅうげき)事件” では、定刻を過ぎたために投票を断わられたことで、投票所を百数十人の学会員が取り囲み、投票立会人(たちあいにん)を土下座させ、四時間半にわたって吊(つ)るし上げ、選管の職員達に殴(なぐ)る蹴(け)るの暴行を加えました。
創価学会では、 ”選挙は王仏冥合(おうぶつみょうごう)の法戦で、大功徳が積める” と言われ、しかも以前は、選挙違反で捕(つか)まった会員を「法難賞」に値(あたい)する、などと賞賛(しょうさん)すらしていました。異常だとは思いませんか。
使命感に燃えて選挙活動に明け暮れたあげく逮捕されたのでは、人生台無しです。学会員の皆さん、くれぐれも選挙違反をしないように!

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『慧妙編集室 編』

二十七、”呪いの唱題” は変だと思いませんか!?

以前、六十七世日顕上人が海外へ赴(おもむ)かれる際、学会員は皆で、「日顕(上人)の乗った飛行機が落ちますように」と祈念していたそうです。
また、学会の会館や会員宅の仏壇前には、日顕上人や学会から離れた元幹部、あるいは学会に批判的な人達の不幸を願う ”祈念票” が置かれ、「日顕(上人)撲滅(ぼくめつ)のための十時間唱題」が行なわれた、という証言もあります。
あなたのお宅にも「祈念 日顕(上人)撲滅」等と書かれた紙が配られたのではないですか。
しかし、いくら自分達が憎しみを抱(いだ)いている相手とはいえ、人の不幸を願い、怨念(おんねん)を込めて ”呪(のろ)いの題目” を唱えるなど、変だと思いませんか。
ましてや、飛行機が墜落(ついらく)すれば、他の多くの乗務員や乗客をも巻き添えにする大惨事になります。それを祈るなど、完全に常軌(じょうき)を逸(いっ)しています。これが本当に、 ”平和・文化・教育” を標榜(ひょうぼう)する宗教団体のすることでしょうか。
創価学会が日蓮正宗の信徒であった頃、池田大作サンは次のように指導していました。
「仏法は ”人” を排斥(はいせき)するのでなく、その ”思想” を責め、改めさせるのである。
”思想” ”法” 対する厳格さと、 ”人” に対する寛容(かんよう)・慈悲(じひ)をはきちがえてはならぬ。」
(『人間革命』第六巻)
まことにそのとおりです。仏法は、相手の幸福を願うが故(ゆえ)に、不幸の元である謗法(ほうぼう)の
心を折(お)り伏(ふ)し、改めさせて、全ての人を救わんとする慈悲の教えであります。
ところが、宗門から破門されるや、池田サンは
「反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ!」とか、
「あのー、まぁ、日顕(上人)なんか、その(イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金でゆわえて、頭をトンカチでぶっ叩いてね」
等と、 ”人” に対する徹底排斥を教唆(きょうさ)してきました。そのために、当時、学会の会館では、日顕上人を模(も)した人形と、それを殴(なぐ)るためのトンカチを置いて、来館者にボコボコ叩かせたり、日顕上人のお名前を書いた紙を玄関先に置いて踏み付けさせたり、あるいは、日顕上人に扮(ふん)した人間に罵声(ばせい)を浴びせ、子供にまで石を投げさせて、「ざまあみろ」と大笑いするイベントが各地で行なわれたのです(ビデオを入手しています)。
そして、破門から二十年近くも経(た)つ今なお、『聖教新聞』紙上では、会長以下最高幹部らが、学会批判者に対して「悪党」「畜生」「地獄の人生が残っているだけ」「ざまあみろだ!」と悪口雑言(あっくぞうごん)のかぎりを尽くしています。
この、あまりにも非常識な言い方に、呆(あき)れたり失望したりして創価学会を脱会した人はたくさんいます。あなたも一刻も早く、狂気の呪詛(じゅそ)信仰を捨て、真に自他共の幸福を願う正しい日蓮正宗の信仰に立ち返りましょう。

KC420201
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『慧妙編集室 編』

二十六、御登山の功徳を思い出しましょう!

学会員の皆さんが、かつては「魂(たましい)のふるさと」と称して恋(こ)い慕(した)っていた総本山富士大石寺。学会員が登山参詣をしなくなって、早くも二十年近い年月が経(た)ちますが、それでもなお、桜の季節を迎える頃には、お山の思い出が蘇(よみがえ)り、「昔はよく行ったなあ」と懐かしそうに語る学会員がたくさんいます。
創価学会では、会員の心を総本山から引き離すために、「桜を全部切った」とか「お山は荒れ放題」とか「登山すると、何十万円もの請求書が来る」等とデマ宣伝を繰り返し、あげく、「大石寺にペンペン草を生(は)やして荒れ寺にしてやる」(平成十三年三月一日付『聖教新聞』)などと憎しみの標的とする、恐ろしい指導が出されました。
しかしながら御安心ください。総本山は今も、大御本尊おわします清涼なる地として、凛(りん)とした空気に包まれ、春の桜をはじめ、ツツジ、ハス、木犀(もくれん)、紅葉など四季折々の花木が咲き誇り、美しく、清浄なたたずまいを守り続けています。
さらに、平成十四年には、我が国最大の日本式仏教建築である荘厳な奉安堂が建立され、そして平成二十一年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年を慶祝して、境内地(けいだいち)や塔中坊なども整備されて、総本山は以前よりもいっそう立派に美しくなっています。
このような宗門の繁栄を妬(ねた)む創価学会は、一般会員が総本山を渇仰(かつごう)する心を起こさないように、「登山地獄」「目当ては御開扉料」などと讒言(ざんげん)を繰り返しており、まことに哀れという他ありません。
そのような悪口誹謗(あっくひぼう)をする人々は、日蓮大聖人が示された登山の大功徳を片鱗(へんりん)もわかっていないのでしょう。大聖人は、
「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土(りょうぜんじょうど)に劣るべき。法妙なるが故(ゆえ)に人貴(たっと)し、人貴きが故に所(ところ)尊しと申すは是なり。(中略)此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業(さんごう)の悪転じて三徳を成ぜん」(『南条殿御返事』)
と仰せられ、大聖人(戒壇の大御本尊)のおわします処(ところ)がすなわち霊山浄土(りょうぜんじょうど)であり、そこに参詣することによって無始以来の謗法の罪障が消滅し、福徳を積むことができると約束せられています。
だからこそ、池田大作サン自身もかつては
「我々が登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受(きょうじゅ)できることは言うまでもないのである」
(昭和三十八年十月一日)
「霊鷲山(りょうじゅせん)への参詣、月一回。先生の直弟子としてこれを歓(よろこ)び、これを実行できぬようでは、正信の人とはいいきれない」
(『若き日の日記Ⅱ』159ページ)
とまで述べていたのです。
破門されたとたんに全く正反対の指導をして憚(はばか)らない、こんな無節操(むせっそう)男に振り回されて、大聖人の御教えに逆行していく学会員の皆さん、早くその誤りに気付いて、総本山根本の信心に立ち返りましょう。

KC420183
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『慧妙編集室 編』

二十五、戒壇の大御本尊を離れて功徳はない

学会員の皆さんは、かつて誰もが、「祈りとして叶(かな)わざることなしの大御本尊様」という言葉を口にしたことがあるのではないでしょうか。
この言葉は、二十六世日寛上人が、本門戒壇の大御本尊のことについて示された次の御文が元となっています。
「此の本尊の功徳、無量無辺(むりょうむへん)にして広大深遠(こうだいじんのん)の妙用有(みょうゆうあ)り。故(ゆえ)に暫(しばら)くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、即(すなわ)ち祈りとして叶わざる無く、罪(つみ)として滅(めっ)せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕(あら)われざる無きなり。妙楽の所謂(いわゆる)『正境(しょうきょう)に縁(えん)すれば功徳猶(なお)多し』とは是(こ)れなり。是れ即ち蓮祖出世(しゅっせ)の本懐(ほんがい)、本門三大秘法の随一(ずいいち)、末法下種の正体、行人所修(ぎょうにんしょしゅ)の明鏡(みょうきょう)なり。」
すなわち、日寛上人は、”この大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるならば、叶わない祈りはなく、生命に深くしみついた罪障(ざいしょう)を消し果てることができ、あらゆる幸せを招(まね)き寄せ、道理として必ず功徳の実証が現われる”と明示された上で、”この大御本尊こそが大聖人の出世の本懐であり、この仏法を信ずる人々の対境(たいきょう)である”と仰せられているのです。
戒壇の大御本尊は、”功徳聚”(くどくじゅ)といって、あらゆる功徳が聚(あつ)まっており、各家庭において御本尊を拝んで功徳があるというも、その源(みなもと)は全て、大御本尊にあるのです。したがって、戒壇の大御本尊を離れては、功徳があるはずがありません。
よく、「学会で信心していて、昔、功徳で救われた体験がある。だから、学会に恩がある」ということを言われる方がいますが、それは違います。創価学会に功徳があったのではなく、日蓮正宗から破門される以前の創価学会は、戒壇の大御本尊とつながっていたから、功徳をいただくことができたのです。
それを、「学会に恩がある」とか「センセーのおかげ」と会員に思い込ませたのは、じつは池田センセーの発案によるものでした。センセーいわく、
「私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ(中略)幸福境涯を確立することができるのです。」
(『前進』昭和四十二年二月号)
「私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。・・・私は言ってあげて、罪業(ざいごう)を切ってあげているのだ。」(『前進』昭和四十一年一月号)
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ。」(『前進』昭和四十四年十月号)
これでは、”自分が、功徳を与え、罪業を切ってあげる仏だ” と言っているも同然です。実際には、我々に功徳を蒙(こうむ)らせ、罪障を消してくださるのは大御本尊に他なりません。
さらにセンセーは、真の功徳聚たる大御本尊のことを、
「本門戒壇・板本尊が何だ! 寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です!」
(平成五年九月七日・録音テープより)
などと、平気で大御本尊を愚弄(ぐろう)しました。恐ろしいことですね。
木の枝を折って根から切り離してしまえば必ず枯れてしまうように、もとより、完全に大御本尊から離れてしまった創価学会に、功徳などあるはずがありません。
今現在のあなたの生活を振り返ってみてください。体験はありますか? 周(まわ)りの学会員に不幸が連発していませんか? 「学会の座談会では、功徳の体験を聞かなくなった」という声もたくさん聞こえてきますよ。
本当に幸せになりたかったら、総本山の戒壇の大御本尊のもとに戻るしかありません。
学会員の皆さん、勇気を出して、お寺の門を叩いてみませんか。

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『慧妙編集室 編』

二十四、財務を搾(しぼ)り取る仰天(ぎょうてん)指導!

創価学会の資金確保のため、毎年十二月に全国の学会員から ”一口一万円、上限なし” で徴収(ちょうしゅう)している財務ですが、納入要請の強引さや常軌(じょうき)を逸(いっ)した金額の競(きそ)い合いに、眉(まゆ)をひそめる学会員はとても多くいます。
本来、この「財務」について、戸田二代会長は純粋な精神で臨(のぞ)んでいたようです。
『人間革命』には、次のような記述があります。
「戸田は、金銭に対しては、あらゆる不純を拒否して、異常なまでの潔癖(けっぺき)な姿勢を堅持(けんじ)した。とはいえ、現代の社会においては、資金なくして、どんな崇高(すうこう)な活動も成立しないことは事実だ。そのための必要経費は、会員の真心の自由意思に任(まか)せ、そのつど浄財(じょうざい)を募(つの)ることによって賄(まかな)えばよいというのが、戸田の信念であった。彼は、その必要が生ずると、いつも学会員に、その内容のすべてを提示して、必要経費を確保した。まず計画があり、それを遂行(すいこう)するために使用する資金が募(つの)られた。金があって、それから計画をたてるのではない。彼は、いつも事をなすにあたって、大胆に金を使ったが、金に仕(つか)えることは一度もなかったのである。」(『人間革命』第六巻)
広宣流布を進めていくための必要経費について、その大切さを会員達に熱く語り、よく理解をしてもらったうえで、有志による真心からの浄財を募った戸田会長の姿が目に浮かぶようです。
ところが、近年になると、そのような厳格さはすっかり忘失され、とにかく金集め体質が露骨(ろこつ)になってきました。その象徴が、池田大作サンの次の発言です。
「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました・・・と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。」(平成五年一月二十七日・アメリカSGI&関西合同総会)
池田サンは、ユーモアのつもりだったのかもしれませんが、思ってもいないことは言えるはずがなく、この不用意発言に凍(こお)りついた会員も多かったのではないでしょうか。
「ヨイショして金を取る」とは、俗物(ぞくぶつ)丸出し、とても信仰の世界ではありません。
師匠がこんな調子ですから、弟子もまた、ひどい指導を連発しています。以下は創価学会草創からの幹部である柏原ヤス氏の発言(録音テープより)。
「心がけ次第では、一千万円以上できる人になれるんです。できないとは、言えないんじゃないの。」
「なまじっか、あるから、ねー。そーでしょ、生活が豊かになるから、そうゆうふうに、かえって、みみっちくなるのよ。」
「世界広布には、お金がかかる! いるんです! だから、出せッ!つーのッ! 出せッ! 出せッ!・・・出せッ! ねーッ。(略)私は、そう言います。出しなさい! ねーッ。だから、社長さんの奥さんに『何言ってんだ!出せッ!』と言ったんですよ。ねーッ。『あんた、いくらやってんの!? あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる。今度の広布基金は百万出しなさいよ! 皆の前で言っておくから』・・・ねッ。婦人部長は、ちゃんと、百万、取りに行って!」(青森県内における婦人部指導会)
まったく開いた口がふさがりません。「みみっちい! 百万出せ!」と怒鳴(どな)られた側は、いったいどんな気持ちでしょう。
幹部達は、こんな指導を笑いながら拍手して聞いているのですから、当然のことのように、自分も会員に対して、朝に晩にと訪問し、高額の財務を煽(あお)るのでしょう。そして、会合で「あの人は百万円出した」「この人は一千万円出した」と、実名を挙げて紹介された高額納入者は、名聞名利(みょうもんみょうり)をくすぐられて鼻高々になる・・・・・・。 このようにして集められる財務は、毎年なんと、二千億円から三千億円と言われています。
それをばら撒いて、センセーが世界から称賛されても、世界広布でも何でもないですよ。創価学会は、「著欲(じゃくよく)(欲のために仏法を利用する謗法)の塊(かたまり)」です。早く脱会しましょう!

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『慧妙編集室 編』

二十三、悪道(あくどう)へ誘(いざな)う ”御供養自慢(じまん)”

池田大作サンは昔から、「私は、宗門にこれだけの御供養をしてやった」ということを口にしていました。 たとえば、今は無き ”正本堂” をした後などは、「私共地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)は敢然(かんぜん)として、まず大聖人様の御遺命(ごゆいめい)である正本堂の建立をしました。誰がしましたか、途中で。創価学会じゃないですか。私がやったんです。そうでしょう?(中略) 大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大化城(だいけじょう)もそうです。五重塔・御影堂・山門も、全部修復したのは私です。創価学会であります。(中略) 昔は二ヵ寺造ると大講頭といわれた。何百ヵ寺です、私は」 (昭和五十二年一月一日)などと言い、全(すべ)て自分の功績(こうせき)として声高々に自慢していたのです。
これでは、御供養をしてきた多くの皆さんが浮かばれないと思うのですが、それはさて置き、御供養をこのように自慢すること自体、”池田サンは、もとから信心がなかった”ということの証明に他(ほか)なりません。
本来の御供養の精神については、創価学会第二代会長・戸田城聖氏が次のように指導していましたので、学会員の皆さんは、よく噛(か)みしめて御覧ください。戸田二代会長いわく、
「御僧侶に対する供養は、私に対する真心(まごころ)を表わすものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は純真なものでなくてはならない。」
(『戸田城聖全集』 「お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障(ざいしょう)を消していただくためにするのである。」 (同)
「私の言うことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽(つ)くすことは、あたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。 (中略) それをしたからって、何もえらいのではないのです。」 (同)
いかがでしょう。 「御供養は、自分の罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)のためにさせていただくもの」であって、「自慢するようでは、信者の資格がない」と教えているのです。
この戸田二代会長の言葉を借りれば、御供養を名聞名利(みょうもんみょうり)の材料にしていた池田サンは、日蓮正宗に身を置いていた当時から、「信者の資格がなかった」__要するに、「信心がなかった」ということになりますね。
そうした信仰の歪(ゆが)みゆえに宗門から破門になったにも拘(かか)わらず、平成二十年九月三日の本部幹部会でも、池田サンは相変わらず次のように言っています。
「どれだけの供養したか。とってとってとりまくって、もうどれだけの供養したか。
(中略) 戸田先生は十七万坪ですよ。私は、百十七万坪への大拡大をしてあげたんです! (中略) 世界中に私ほど供養した人間いないだろ?ね。戸田先生、(中略) これは小ちゃいです。」
「それほど計(はか)り知れない大恩(だいおん)ある創価学会を、嫉妬(しっと)、恩を、恩を仇(あだ)で返したのが日顕宗。 煩悩(ぼんのう)宗」
なんと、池田サンは、師であるはずの戸田二代会長の功績を「小ちゃい」と見下してまで自画自賛(じがじさん)し、宗門への恨(うら)み節(ぶし)を連呼しているのです。
学会員の皆さんは聞きなれてマヒしているのでしょうが、こんな狂った指導者のもとにいれば、あなたも大聖人や戸田会長にお叱(しか)りを蒙(こうむ)りますよ。
御書にいわく、「名聞名利は今生のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだしなり。嗚呼(ああ)、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし」__後生(ごしょう)の堕地獄(だじごく)を恐れるならば、早く脱会しましょう!

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わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

二十二、選挙に利用されていることに疑問を感じませんか

学会員の皆さん、選挙活動に奔弄(ほんろう)されて、本当に大変ですね。
平成二十一年の衆議院選、さらにその後、立て続けに迎えた東京都議選では、きっと今まで以上に檄(げき)を飛ばされたことでしょう。学会員の皆さんの悲鳴が聞こえてきそうです。
池田大作サンの発言に
「奴隷(どれい)のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」
(『社長会記録』昭和四十六年七月八日)
というものがありますが、そのように教え込まれた会員さん達は、選挙ともなれば、「池田センセーのために! 学会のために!」 と走り回っておられます。その姿が、世間の人達の目にはきわめて異常に映(うつ)っていることに、皆さんはお気づきですか。
その昔、池田サンは、「政治権力」と「宗教」の関係について、
「権力と手を結ぶ宗教がある。だが、一時は権力とともに栄えることはあっても、やがて権力とともに滅んでゆく。逆に、民衆のなかに生きた宗教は、幾多(いくた)の圧迫を受けつつも、いよいよ輝きを増していくものだ」 (『人間革命』 第六巻)
と、じつに正論を述べておりました。
しかしながら、実際に行なっていることは、どうでしょう。近年の創価学会・公明党は、すっかり「権力と手を結」んで、政権与党の席に執着し続けているではありませんか。「一時は権力とともに栄える」という目先の欲望のために、「やがて権力とともに滅んでいく」道を選んだ、ということでしょうか。
ちなみに、以前は目の敵(かたき)にしていた自民党と手を組んだことには、古くからの会員さんの多くが、「納得がいかない」と憤慨(ふんがい)されていましたね。まことに正論です。
さて、創価学会が、なぜ選挙活動に血眼(ちまなこ)になるのか、池田サンは、
「こういうとまた政教一致といわれるけどね、教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変わらない」
(平成六年九月十四日)
「天下を取らない党なら、やる必要はない」 (昭和五十一年十一月十六日)
「私は最高権力者になる」 (『現代』 昭和四十五年七月号)
等と述べ、政治権力を握(にぎ)って天下を取り、自身が最高権力者として君臨(くんりん)することが目的である、と表明しています。
まさに『人間革命』で批判を加えていた 「権力とともに栄えること」を目指しているわけです。もちろん、自らが記(しる)しているように、「やがて権力とともに滅んでゆく」 ことになるのですから、悲しいものです。
そのような、池田サン個人の空(むな)しい権力願望のために、奴隷(どれい)のように仕(つか)えていくことを教え込まれ、選挙のための駒(こま)のように扱われている学会員の皆さんが、本当に気の毒でなりません。
そこには、自らの幸福もなければ成仏もありませんよ。また選挙で無駄(むだ)な時間を費(つい)やす前に、早く脱会しましょう。

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