わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十七、血脈否定を厳しく弾劾(だんがい)していた池田指導

創価学会が日蓮正宗から破門されて、約二十年の年月が流れました。その間、学会では、機関紙誌や怪文書、会合や口コミ等を使って、六十七世日顕上人の悪口中傷を流し続けてきました。あげく、”日顕上人は血脈相承(けちみゃくそうじょう)を受けていない” などと、まるで見てきたような嘘(うそ)まで言い、はては ”六十八世日如上人はニセ法主ニ世だ” などと言いだすしまつでした。
なぜ、学会がそんな恐ろしいことを宣伝したか、といえば、狙いはただ一つ、学会員の心を、日蓮正宗なかんずく総本山に向けさせないためです。つまり、創価学会が池田大作を絶対者とする集団として存続していくためには、日蓮大聖人の仏法を正統(せいとう)に継承(けいしょう)する総本山や御法主上人の存在が邪魔(じゃま)でしょうがなかった、ということです。
学会による「嘘も百遍(ひゃっぺん)言えば、本当になる」(池田大作氏の言)式の宣伝は、全国津々浦々(つつうらうら)の学会員をみごとに洗脳しました。そして今、多くの学会員が、内心では「学会はだんだんおかしくなっている」と気づきながら、それでもなお、悪宣伝によって植え付けられた御法主上人批判が脳裏(のうり)に焼き付いているために、総本山に戻れないでいるのです。あなたも、その一人ではありませんか。
しかし、冷静に考えてみてください。日顕上人に日達上人からの御相承(ごそうじょう)がなかったなら、どうして、日蓮正宗の信徒団体だった頃に、創価学会は日顕上人御書写(ごしょしゃ)の御本尊を拝んでいたのでしょうか。どうして、それで功徳をいただいてきたのでしょうか。
そもそも、日顕上人への御相承については、池田さん自身も、
「大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第二祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違(たが)えることなく、令法久住(りょうぼうくじゅう)されることに無量の辛労(しんろう)をつくされた。以来、法灯連綿(ほうとうれんめん)と七百三十年の間、厳護されてきた法水(ほっすい)は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進(まいしん)しゆくことが大切なのである」(『広布と人生を語る』第三巻297ページ)
等と、随処(ずいしょ)で明言していました。それを、今になって、「じつは相承を受けていない」等と平気で言ってのけ、悪口罵倒(あっくばとう)し続けているのですから、無節操(むせっそう)極まりないではありませんか。
しかも、以前の池田さんは、血脈否定の輩(やから)について、
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』(けんしげんごう)であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(同 第一巻230ページ)「日達上人御遷化(ごせんげ)の後、御当代御法主上人を非難している徒(と)がいる。私は命を賭(と)して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断(ごんごどうだん)もはなはだしい」(同 第三巻143ページ)
と、まるで現在の学会の所業(しょぎょう)を破するかような指摘をしていたのです。
池田さんは、「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです」
(『巻頭言・講義集』第三巻184ページ)と知っていたからこそ、「命を賭して猊下をお護り申し上げる」と述べたのではありませんか。それを今では悪口のかぎりを並べているのですから、まさに「言語道断」ですね。
このような二枚舌男のいうことに振り回されて、自らも血脈誹謗(ひぼう)の大重罪を犯していては、本当に取り返しがつきません。さあ、今すぐ脱会して、正法正師のもとに帰伏(きぶく)しましょう。

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