わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十六、誤りの根元・池田本仏思想

創価学会員に「会長(池田)本仏論」を指摘(してき)すると、ほとんどの方が、「それは池田先生が言っているのではない」とか「学会ではそんな指導はしてない」などと、学会の説明を鵜呑(うの)みにした弁明(べんめい)をしてきます。しかし、本当にそうでしょうか。
学会員の誰もが読んでいる、池田大作著『人間革命』。じつは、この中に「会長本仏論」の原点ともいうべき記述があるのです。たとえば、『人間革命』第三巻には
「この若い革命家の『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有(けう)の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ」(182ページ)とあります。
仏法において、「帰命」とは、御書に
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之(にんぽうこれ)有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(『御義口伝』)
と仰せられているとおり、「南無」のことであります。そして、南無する対象は、”人”(にん)は久遠元初(くおんがんじょ)の釈尊たる御本仏日蓮大聖人、”法”(ほう)は末法の法華経たる南無妙法蓮華経の大御本尊に他なりません。
であるにも拘(かか)わらず、『人間革命』の著者・池田大作氏は、「妙法への帰命とは、希有の師への帰命であり、すなわち戸田城聖(会長)への帰命である」と訴えているのです。
これ、まさに「会長本仏論」そのものであります。
なお、ここでは文脈上、帰命の対象を「戸田城聖」としていますが、これを著作した時点での創価学会における「希有(けう)の師」が池田大作会長であることは、言うまでもありません。つまり、「妙法への帰命(南無)とは、池田大作に帰命することである」というのが、この『人間革命』の趣旨なのです。
そうした池田さん自身の意を受けて、今度は弟子達が
「まさしく、現代における ”人” への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」
「池田先生のみ主師親(しゅししん)三徳兼備(けんび)」
「(会長は)己心(こしん)の久遠の仏としての生命を覚知された」
等と、明確な言辞(げんじ)をもって「会長本仏論」を学会の中に浸透(しんとう)させたわけですが、これが池田さんの自作自演から始まったことを、皆さんはキチンと認識するべきであります。
また、池田さんは昭和五十三年当時、これらの誤(あやま)りを宗門から厳しく指摘されたことによって、いったんは、
「私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端(ほったん)の因(いん)があった」
(昭和五十五年四月二日付聖教新聞)
と、自ら罪状を認め、謝罪しました。そして、
「会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具(そな)えているとか、本門弘通(ほんもんぐつう)の大導師(だいどうし)である等と論ずることは大なる間違いである」
(昭和五十三年三月五日池田指導)
等と指導しました。
ところが今はどうでしょう。宗門に反逆(はんぎゃく)しだした平成三年には、「学会が訂正・謝罪等を行なったのは、宗門を守るためだった」などと言って前言をひるがえし、元(もと)の木阿弥(もくあみ)状態に戻したのです。
そして、『聖教新聞』等の学会機関紙誌には、「池田先生こそ大聖人の仏法を現代に蘇(よみがえ)らせた永遠の指導者」「人類の叡智(えいち)」「人類を導(みちび)く師匠」等々と、池田を「希有の師」と崇(あが)める礼讃句(らいさんく)のオンパレード。
学会員の皆さん、騙(だま)されてはいけません。早く洗脳から目を覚(さ)まして、真(しん)に帰命(きみょう)すべき人法一箇(にんぽういっか)の大御本尊のもとに戻りましょう。

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