わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十二、御本尊様は生身(しょうしん)の日蓮大聖人です!

御書に、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」
(『経王殿御返事』)
と示されているように、御本尊は日蓮大聖人の御生命の当体であります。
それゆえ、創価学会においても、かつては
「日蓮正宗の御本尊は、大聖人のご生命ご自身であり、三世十方の諸仏の本尊であり眼目である」(『折伏教典』)
と指導し、池田大作さんも、
「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。
(中略)御本尊を ”物” と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。
信心ではありません」(『大白蓮華』昭和三十九年八月)
と言っていました。
まことにそのとおりで、学会員の皆さんの中にも、かつては、御本尊を大聖人の御当体と固く信じて題目を唱えるなか、考えられないような功徳の体験をした、という方も、たくさんいらっしゃることでしょう。
ところが、その池田さんが、平成五年五月三日のスピーチで、とんでもないことを言い放ったのです。
”職者の声を紹介する” としたその内容は、池田さんが職者から「究極に求められるものは何か」と質問されことに対して、「板曼荼羅(まんだら)の御本尊ではなく、久遠の法です」と答えたこと、さらに、それを聞いた職者が「(池田)名誉会長が、永遠の根元を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭(へんきょう)にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした」と述べたことを挙げ、「やっぱり、曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから」と発言したのです。
さらにまた、平成五年九月七日のスピーチでも、
「本門戒壇の板本尊が何だ! 寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です!」
と述べ、戒壇の大御本尊を ”ただの物” 呼ばわりして侮蔑(ぶべつ)したのです。
これはまさに、大御本尊の否定であり、大謗法です。かつて池田さん自身が指摘していた、「御本尊を ”物” 扱いした罰当たりな発言」そのものではないですか!
池田さんは、御本尊を仏様と拝する信心を完全に失ったのです。だから、ニセ本尊も平気で作れるようになったのでしょう。池田さんは、大聖人の仰せなど、まったく信じていない、エセ仏教者です。
こんな人を『永遠の指導者』と仰ぎ、『人生の師匠』としてついていけば、あなた自身も、地獄に引きずりこまれてしまいます。
学会員の皆さん! 学会の ”昔” と ”今” の指導の格差をよく見比べて、目を覚ましてください。そして、一刻も早く、この恐ろしい大謗法団体から抜け出し、日蓮正宗の正しい信心に立ち返りましょう。

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