(3面)連載 創価学会 教学試験の 日蓮正宗批判を破す!

(『慧妙』H29.7.1)

第6回

学会のいう「広宣流布」の誤り

続いて「西還__世界広宣流布」の項目についてみていく。そこには、<創価学会は、釈尊から日蓮大聖人にいたる人間主義の哲学と実践の系譜を、現代において再発見し、仏教の真髄として認識し、尊重するとともに、その伝統と精神を現代社会において継承し、未来に伝えていく活動を展開しています。
納得と触発の対話を通して、仏法の人間主義を各人の立場で実現していく人材群の排出のために、たゆまぬ努力を続けているのです。この人類の幸福と世界平和を実現しゆく運動を「広宣流布」と呼んでいます。インドから東へと向かい、日本に伝わった仏教は、いま、日本から西へと還(かえ)っています(仏法西還>とあり、実例として、学会は核の脅威展の開催、難民救援活動、地球環境保全などを行ない、人権の尊重を訴えている、とする。
このように学会は、平和を前面に押し出しているが、陰では、学会に楯(たて)突く者にはどんな手を使ってでも攻撃する、という二面性を持っている。
まさに僭聖(せんしょう)増上慢の姿そのものである。
むろん、人権と平和を守ろうとする活動自体が間違い、というわけではない。日蓮正宗やその僧俗においても、それぞれの立場で様々な活動を行なっているし、他の団体・個人も行なっている。問題は、こうした学会の世間法上の活動を「広宣流布」としていることである。
いかに学会が、言葉巧(たく)みに”様々な活動を通して人間主義を実現”と言ったところで、{広宣流布」とは、まったく無関係な話である。
否、むしろ「仏法は体、世間は影」との御金言のごとく、仏法上で大謗法を犯している創価学会が弘まるほど、三災七難がさらに盛んとなり、人々が不幸に陥(おちい)るだけだ。
そもそも「広宣流布」とは、大聖人の『撰時抄』の「法華経の肝心たる南無妙法蓮経の大白法の、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに巨下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり」(御書837頁)
との御文、また日寛上人の『撰時抄愚記』の「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆(みな)嫡々書写の本尊を安置す。
其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍(なお)是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(文段543頁)との文を拝すれば明らかなように、日本乃至全世界に本門戒壇の大御本尊への信仰を弘めることである。その本義を見失い、世間法上の平和活動を行なうことを「広宣流布」などと称するこの宣言を迫(せま)り、思い通りに行かないと見るや教義逸脱問題を起こし、謝(あやま)って反省したかと思ったら、本格的に宗門攻撃を始めて破門となった。

「人類の幸福と世界平和を実現しゆく運動」!?

本義を失った学会の「広宣流布」観

とは、明らかなスリカエ、ゴマカシである、という外ない。
創価学会は、大御本尊を安置する正本堂の建立時には日達上人に広宣流布達成その後は、本宗の血脈を否定しながら日寛上人の御本尊で偽本尊を作り、近年では、その日寛上人が「根源」と御指南されている本門戒壇の大御本尊を受持の対象から外したが、大誓堂には、日昇上人が大御本尊を書写した御本尊を安置している。
そして、勤行・唱題・折伏も忘れ、平和を唱えながら、自分たちの敵には容赦なく襲いかかる。
このような自らの大矛盾に気付かないとは・・・・・・。御本尊の右肩に示された「若悩乱者頭破七分」とは、このような様(さま)をいうのであり、まことに謗法の
恐ろしさ、罪障の深さを思い知らされる。
いかに、世界百九十二ヶ国・地域に学会の教えが弘まろうが、所詮
「末々の学者等は本師のあやま(誤)りをばし(知)らずして、師のごとくひろ(弘)めなら(習)う人々を智者とはをも(思)へり。源にご(濁)りぬればなが(流)れきよ(浄)からず。身まが(曲)ればかげ(影)なを(直)からず」
(御書827頁)
であって、どれだけ会長が代わろうが、教義や会則を変えようが、濁流が濁りを増やして害を及ぼすだけのことである。無知の会員こそ哀れではないか。
真の広宣流布・仏法西還を実現するのは、「本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」の御指南のごとく、本門戒壇の大御本尊並びに血脈付法の御法主上人在(ましま)す日蓮正宗のみである。学会員よ、清らかな源(みなもと)に戻って正しい信行に励み、真の広宣流布を目指すべきである。

連載 学会メディアを破す!

”肖像不明”の池田大作

小さく報じるのみで肖像は出せず

池田の重病を隠すのに苦心惨憺の学会

本紙六月一日号に掲載された「『5・3』にも池田の姿なし」との記事に報じられたように、五月三日付の『聖教新聞』には、池田夫妻が、自身の書を眺(なが)める写真が掲載されていた。ただし、三面に、それも表情すら読み取れない角度の写真でだ。重病説やら死亡説等の噂(うわさ)を払拭(ふっしょく)しようと、焦(あせ)っているのがよくわかる。
首脳部も心死なのだろう。
現創価学会会長・原田稔は、朝日新聞のインタビューにおいて、「記者 池田大作名誉会長は88歳。最近は表立った活動は控えています。体調はいかがですか。
原田 元気にしておられますよ。執筆活動に専念しています」(朝日新聞デジタル・二〇一六年九月二十五日)と答えている。
また昨年のテレビ東京の選挙特番において、ある幹部が池田の健康状態に対しての質問に「大変お元気」と回答した事も記憶に新しい。
しかし池田大作が、その姿を公(おおやけ)の場に現わすことはない。
直近の創価学会の重要行事である「戸田城聖先生の追善勤行法要」「立宗の日」においては、池田は総本部の恩師記念会館および創価学会第二別館で読経・唱題したというが、一切写真が出てこない。
国内外を問わず、主(おも)だった大会・会合にはメッセージを送り、人間革命や各随筆の執筆に忙しい、というのだが、実際の池田の姿が見えてこない。
世論は思う、「本当に元気なのか」と。報道各社が幹部に質問していることからも、実際の池田の状態は多くの人々の関心事であろう。
かつて池田は「たとえ不運な出来事があったとしても強盛な信心があるならば、その現証をば明快に自分自身で納得できるし、その納得したところにいっそう人生の希望と勇気がわいてくる。とともに、この現証を起点として、未来永劫にわたり、確かなる妙法の”幸福”の軌道へすすみゆくことができうるのである」
(広布と人生を語る7 18頁)と述べていた。
池田よ。今こそ創価仏法受持の功徳(?)を自身の現証として大衆に示す時だ。
その現証を見れば、全ての会員は気づくであろう。「創価学会は間違っていたのだ」と。
いくら報道を規制し取り繕(つくろ)ったとしても、仏法の因果を隠し通すことは不可能なのである。
重ねて言う、池田よ、全創価学会会員の不安を払拭するためにも、大誓堂で導師をし、生の姿を見せてみよ。
しかし、それはこの先も叶わぬことだろう。なぜかって?『永遠の師匠』は堕地獄の前相を示しているからだ。

『http://emyo.jp/』

Pocket