池田大作の実像を検証する

創価学会が謗法化していった根元(こんげん)には、すでに指摘(してき)したとおり”池田本仏論”があります。
もとより、末法(まっぽう)の仏は日蓮大聖人御一人ですから、「四天下(してんげ)の中に全(まった)く二の日無し、四海(しかい)の内豈両主(あにりょうしゅ)有らんや」(御書677頁)の道理で、池田大作が仏でなどあるはずはありませんが、ここでは、池田大作の行体(ぎょうたい)や言動(げんどう)、信条(しんじょう)などを検証して、それを裏付けてみましょう。

①本仏を気取った慢心発言の数々

学会出版物や内部資料の中には、以下のごとく、池田大作の本仏気どりの指導が随所(ずいしょ)に散見(さんけん)されます。
「私から幹部の任命(にんめい)を受けることは、記別(きべつ)(仏が弟子達の未来の成仏(じょうぶつ)を約束すること)を受けることです。会合もただ列座(れつざ)しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。
記別とは信心の血脈です。これなくしては『法華経を持(たも)つとも無益(むやく)なり』である。私は現在の仏法の指導者です。
私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、『霊山(りょうぜん)に近づく鳥は金色(こんじき)になる』との御金言のごとく、幸福境界を確立(かくりつ)することができるのです。」(『前進』昭和四十二年二月号)
「私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感(びんかん)なんだ。・・・・・・私は言ってあげて、罪業(ざいごう)を切ってあげているのだ。」
(『前進』昭和四十一年一月号)
「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運(ふくうん)がつく。」
(第四十回社長会・昭和四十五年十一月十九日)
「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ。」(第十五回社長会・昭和四十三年八月三日)
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派(りっぱ)でも、受信機が壊(こわ)れていてはだめだ。」(『前進』昭和四十四年十月号)
「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。」
(『前進』昭和四十五年五月号)
私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合(きょうちみょうごう)していなければ、異体同心(いたいどうしん)とはいえない。」(『前進』昭和四十年六月号)
「私のそばにいたら私になんでも言えるように境智冥合しなさい。
それ以外にないよ。私は信心の指導者だ。私しかいないよ。」(『前進』昭和四十年六月号)
「そばにいても、会長の心を知ることは難(むずか)しい。雖近而不見(すいごんにふけん)である。」(『前進』昭和四十二年二月号)
「”師弟血脈”という観点から大聖人の仏法の本因・本果の流れを見るならば、大聖人のお立場は本因妙の仏法の上の本果妙であり、第二祖日興上人が本因妙ということになる。(中略)今度は私が本果、北條理事長をはじめ副会長が本因の立場になるのである。」(『前進』昭和五十二年六月号)
本仏気取りで弟子檀那(でしだんな)に成仏の記別(きべつ)を与え、三世十方(さんぜじゅっぽう)を見通すがごとき大風呂敷(おおぶろしき)を広げ、自らを福運の当体と言って憚(はばか)らず、自分が功徳を与える、自分と境智冥合せよ、と説く池田大作━━まさに”池田本仏論”は、他ならぬ池田大作自身が作出(さくしゅつ)した大謗法であることが、これらの慢心(まんしん)発言から明らかであります。

②懶惰懈怠の行体

かつて池田大作は、会員たちに次のように指導していました。
「私も二百万遍(べん)、三百万遍の題目をあげてあげて、あげぬいて、少しずつ御本尊様のお力、大聖人様の仏法の片(へん)りんがわかってきた程度であります。
皆さん方も題目をあげてあげて、あげぬいて、本当に御本尊様の功徳はすごい、偉大(いだい)なんだ、大聖人の仏法は世界最高なのだということを、自分自身が体得(たいとく)していっていただきたい。」(昭和四十年二月二十日『会長講演集』第十三巻)
もとより池田が「御本尊様のお力、大聖人様の仏法の片(へん)りん」すらわかっていたか、どうか、大いに疑問ですが、時が下(くだ)り、日蓮正宗から分離独立した後の指導では、露骨(ろこつ)に池田の本音(ほんね)が出ています。
「心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部に御苦労申し上げます。
ありがと。(参加者が拍手(はくしゅ)して手を振(ふ)るのに対し)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風(ちゅうふう)になりません!!顔色がいい。ね、もう少し景気(けいき)よく振(ふ)ればねェ、福運がつくんだけど・・・・・・。(中略)ねェ、朝勤行してない人、ずいぶんいるかもしれないけどさァ、いいですよ、お題目一遍(いっぺん)でいいんです。」(平成四年四月二十六日・第五十三回本部幹部会)
「池田に手を振れば福運がつく」から「勤行をしなくても題目一遍でいい」とは、初信者でも呆(あき)れるような無茶苦茶(むちゃくちゃ)な話です。
このような指導を真顔(まがお)でできるとすれば、池田自身も、もとより「二百万遍、三百万遍の題目をあげてあげて、あげぬいて」などおらず、大事な化儀(けぎ)である勤行・唱題すら疎(おろそ)かにしていたであろうことが、容易(ようい)に窺(うかが)われます。
そして事実、学会の内部資料(学会が裁判の際(さい)に証拠として提出した”池田大作の行動記録”)によれば、池田は昭和四十五年当時より、五座・三座の勤行もまともにしていなかったことが明らかです。
たとえば、昼近くに起床(きしょう)して風呂に入った後、
「十三時三〇分 勤行
十三時四〇分 研修所発」
とか、あるいは、
「十一時〇〇分 勤行
十一時〇〇分 離れに行かれる」
とか、はたまた、
「十三時十五分 勤行
十三時二十分 食事」
「十四時〇四分 勤行
十四時一〇分 終了 おそば」
「十四時三十五分 勤行
十四時三十五分 手紙二通書く」
といった具合いで、池田の朝の勤行というのは、ほとんど、五・六分、あるいは〇分(おそらく題目三唱のみ)といった、呆(あき)れ果(は)てた体(てい)たらくなのです。
それ故、かつて、池田大作が総本山大石寺の法要(ほうよう)に参詣(さんけい)した折(おり)など、わずかな時間の正座で、すぐに足がしびれて立てなくなるのを、多くの僧俗(そうぞく)が目(ま)の当たりにしています。
また、池田が、多勢の会員の導師となって読経・唱題(むろん短い時間ですが)することもありますが、その内容・実態を見ると、さらに呆れさせられます。
というのは、池田の前にある経机の上には、常に茶托(ちゃたく)と茶碗(ちゃわん)が置かれており、池田は茶を飲みながら勤行の導師を行なっているのです。
経机を卓袱台(ちゃぶだい)の代わりにし、茶を飲みながら勤行する━━池田の行体(ぎょうたい)の弛(ゆる)み様(よう)には、もはや開(あい)いた口が塞(ふさ)がりません。
このような懶惰懈怠(らんだけたい)そのものの男に、仏祖三宝(ぶっそさんぼう)に対する敬虔(けいけん)な信心など、あろうはずがないではありませんか。

『慧妙』

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