日別アーカイブ: 2019年5月29日

わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十五、真実の信心とは?

創価学会員の皆さんの中には、「自分は、学会版の本尊には変えず、昔からの御本尊をずっと拝んでいる。何も変わっていない」とおっしゃる方も多いようです。昔となんら変わることなく、信心を続けてきているつもりの方には、無理からぬ話かもしれません。
しかし、以前の池田大作さんの指導には、次のようにあります。
「日蓮宗身延(みのぶ)派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じにみえるが、それらには唯授一人(ゆいじゅいちにん)・法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)の血脈がない。法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益(むやく)であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり』なのである。」(『広布と人生を語る』第八巻228ページ)
このように、池田さんは、”同じ御本尊を拝み、御書を学んだとしても、唯授一人の血脈相承にのっとった信心でなければ、功徳はない”と断言していたのです。そして、「私どもは無数の讒言(ざんげん)や画策(かくさく)をうけながらも、一貫して総本山を外護(げご)したてまつり、御法主上人に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ」
(同 第二巻37ページ)
とも指導しています。
ところが、今はどうでしょう。いわく、
「日顕宗では『御本尊』と『御書』と『信心』をないがしろにしながら、一方では、『相伝』とか『御内証』とか、神秘めかして、法主が特別の秘密を知っているかのように見せかけている。(中略)御本尊、大聖人への『信心』のなかにこそ『如来の秘密神通の力』はある。これが『重重の相伝』による大聖人の教えなのである。ゆえに宗門が、根本の『信心』もなく、それどころか信心の団体創価学会を切りながら、信心のほかに特別の『秘密』を法主が握っているかのように見せかけていることは、実は、『如来秘密』をまったく知らない証拠なのである。」
(『創価のルネサンス』第六十四巻411ページ)
以前の池田指導では、「信心の団体創価学会」の「信心」とは、「法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心」であり「御法主上人に随順(ずいじゅん)する信心」だったはず。それを、自らに都合が悪くなった途端、「法主のみに伝わる唯授一人の相伝などない」と言い出したのですから、開いた口が塞(ふさ)がりません。
「総本山を外護したてまつり、御法主上人に随順するのが、真実の信心」という、以前の池田指導からすれば、今の創価学会には「真実の信心」が完全になくなった、ということに他(ほか)ならないではありませんか。そんな創価学会に、功徳などあるはずがありません。
この際、誤(あやま)てる師(※池田大作さんのこと)はキッパリと捨て去り、「真実の信心」を貫くべく、即刻、大御本尊と御法主上人がおわします大石寺の信心に戻ってこられるべきであります。

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