月別アーカイブ: 2019年5月

わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

十七、血脈否定を厳しく弾劾(だんがい)していた池田指導

創価学会が日蓮正宗から破門されて、約二十年の年月が流れました。その間、学会では、機関紙誌や怪文書、会合や口コミ等を使って、六十七世日顕上人の悪口中傷を流し続けてきました。あげく、”日顕上人は血脈相承(けちみゃくそうじょう)を受けていない” などと、まるで見てきたような嘘(うそ)まで言い、はては ”六十八世日如上人はニセ法主ニ世だ” などと言いだすしまつでした。
なぜ、学会がそんな恐ろしいことを宣伝したか、といえば、狙いはただ一つ、学会員の心を、日蓮正宗なかんずく総本山に向けさせないためです。つまり、創価学会が池田大作を絶対者とする集団として存続していくためには、日蓮大聖人の仏法を正統(せいとう)に継承(けいしょう)する総本山や御法主上人の存在が邪魔(じゃま)でしょうがなかった、ということです。
学会による「嘘も百遍(ひゃっぺん)言えば、本当になる」(池田大作氏の言)式の宣伝は、全国津々浦々(つつうらうら)の学会員をみごとに洗脳しました。そして今、多くの学会員が、内心では「学会はだんだんおかしくなっている」と気づきながら、それでもなお、悪宣伝によって植え付けられた御法主上人批判が脳裏(のうり)に焼き付いているために、総本山に戻れないでいるのです。あなたも、その一人ではありませんか。
しかし、冷静に考えてみてください。日顕上人に日達上人からの御相承(ごそうじょう)がなかったなら、どうして、日蓮正宗の信徒団体だった頃に、創価学会は日顕上人御書写(ごしょしゃ)の御本尊を拝んでいたのでしょうか。どうして、それで功徳をいただいてきたのでしょうか。
そもそも、日顕上人への御相承については、池田さん自身も、
「大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第二祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違(たが)えることなく、令法久住(りょうぼうくじゅう)されることに無量の辛労(しんろう)をつくされた。以来、法灯連綿(ほうとうれんめん)と七百三十年の間、厳護されてきた法水(ほっすい)は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進(まいしん)しゆくことが大切なのである」(『広布と人生を語る』第三巻297ページ)
等と、随処(ずいしょ)で明言していました。それを、今になって、「じつは相承を受けていない」等と平気で言ってのけ、悪口罵倒(あっくばとう)し続けているのですから、無節操(むせっそう)極まりないではありませんか。
しかも、以前の池田さんは、血脈否定の輩(やから)について、
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』(けんしげんごう)であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(同 第一巻230ページ)「日達上人御遷化(ごせんげ)の後、御当代御法主上人を非難している徒(と)がいる。私は命を賭(と)して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断(ごんごどうだん)もはなはだしい」(同 第三巻143ページ)
と、まるで現在の学会の所業(しょぎょう)を破するかような指摘をしていたのです。
池田さんは、「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです」
(『巻頭言・講義集』第三巻184ページ)と知っていたからこそ、「命を賭して猊下をお護り申し上げる」と述べたのではありませんか。それを今では悪口のかぎりを並べているのですから、まさに「言語道断」ですね。
このような二枚舌男のいうことに振り回されて、自らも血脈誹謗(ひぼう)の大重罪を犯していては、本当に取り返しがつきません。さあ、今すぐ脱会して、正法正師のもとに帰伏(きぶく)しましょう。

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『慧妙編集室 編』

十六、誤りの根元・池田本仏思想

創価学会員に「会長(池田)本仏論」を指摘(してき)すると、ほとんどの方が、「それは池田先生が言っているのではない」とか「学会ではそんな指導はしてない」などと、学会の説明を鵜呑(うの)みにした弁明(べんめい)をしてきます。しかし、本当にそうでしょうか。
学会員の誰もが読んでいる、池田大作著『人間革命』。じつは、この中に「会長本仏論」の原点ともいうべき記述があるのです。たとえば、『人間革命』第三巻には
「この若い革命家の『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有(けう)の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ」(182ページ)とあります。
仏法において、「帰命」とは、御書に
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之(にんぽうこれ)有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(『御義口伝』)
と仰せられているとおり、「南無」のことであります。そして、南無する対象は、”人”(にん)は久遠元初(くおんがんじょ)の釈尊たる御本仏日蓮大聖人、”法”(ほう)は末法の法華経たる南無妙法蓮華経の大御本尊に他なりません。
であるにも拘(かか)わらず、『人間革命』の著者・池田大作氏は、「妙法への帰命とは、希有の師への帰命であり、すなわち戸田城聖(会長)への帰命である」と訴えているのです。
これ、まさに「会長本仏論」そのものであります。
なお、ここでは文脈上、帰命の対象を「戸田城聖」としていますが、これを著作した時点での創価学会における「希有(けう)の師」が池田大作会長であることは、言うまでもありません。つまり、「妙法への帰命(南無)とは、池田大作に帰命することである」というのが、この『人間革命』の趣旨なのです。
そうした池田さん自身の意を受けて、今度は弟子達が
「まさしく、現代における ”人” への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」
「池田先生のみ主師親(しゅししん)三徳兼備(けんび)」
「(会長は)己心(こしん)の久遠の仏としての生命を覚知された」
等と、明確な言辞(げんじ)をもって「会長本仏論」を学会の中に浸透(しんとう)させたわけですが、これが池田さんの自作自演から始まったことを、皆さんはキチンと認識するべきであります。
また、池田さんは昭和五十三年当時、これらの誤(あやま)りを宗門から厳しく指摘されたことによって、いったんは、
「私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端(ほったん)の因(いん)があった」
(昭和五十五年四月二日付聖教新聞)
と、自ら罪状を認め、謝罪しました。そして、
「会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具(そな)えているとか、本門弘通(ほんもんぐつう)の大導師(だいどうし)である等と論ずることは大なる間違いである」
(昭和五十三年三月五日池田指導)
等と指導しました。
ところが今はどうでしょう。宗門に反逆(はんぎゃく)しだした平成三年には、「学会が訂正・謝罪等を行なったのは、宗門を守るためだった」などと言って前言をひるがえし、元(もと)の木阿弥(もくあみ)状態に戻したのです。
そして、『聖教新聞』等の学会機関紙誌には、「池田先生こそ大聖人の仏法を現代に蘇(よみがえ)らせた永遠の指導者」「人類の叡智(えいち)」「人類を導(みちび)く師匠」等々と、池田を「希有の師」と崇(あが)める礼讃句(らいさんく)のオンパレード。
学会員の皆さん、騙(だま)されてはいけません。早く洗脳から目を覚(さ)まして、真(しん)に帰命(きみょう)すべき人法一箇(にんぽういっか)の大御本尊のもとに戻りましょう。

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『慧妙編集室 編』

十五、真実の信心とは?

創価学会員の皆さんの中には、「自分は、学会版の本尊には変えず、昔からの御本尊をずっと拝んでいる。何も変わっていない」とおっしゃる方も多いようです。昔となんら変わることなく、信心を続けてきているつもりの方には、無理からぬ話かもしれません。
しかし、以前の池田大作さんの指導には、次のようにあります。
「日蓮宗身延(みのぶ)派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じにみえるが、それらには唯授一人(ゆいじゅいちにん)・法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)の血脈がない。法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益(むやく)であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり』なのである。」(『広布と人生を語る』第八巻228ページ)
このように、池田さんは、”同じ御本尊を拝み、御書を学んだとしても、唯授一人の血脈相承にのっとった信心でなければ、功徳はない”と断言していたのです。そして、「私どもは無数の讒言(ざんげん)や画策(かくさく)をうけながらも、一貫して総本山を外護(げご)したてまつり、御法主上人に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ」
(同 第二巻37ページ)
とも指導しています。
ところが、今はどうでしょう。いわく、
「日顕宗では『御本尊』と『御書』と『信心』をないがしろにしながら、一方では、『相伝』とか『御内証』とか、神秘めかして、法主が特別の秘密を知っているかのように見せかけている。(中略)御本尊、大聖人への『信心』のなかにこそ『如来の秘密神通の力』はある。これが『重重の相伝』による大聖人の教えなのである。ゆえに宗門が、根本の『信心』もなく、それどころか信心の団体創価学会を切りながら、信心のほかに特別の『秘密』を法主が握っているかのように見せかけていることは、実は、『如来秘密』をまったく知らない証拠なのである。」
(『創価のルネサンス』第六十四巻411ページ)
以前の池田指導では、「信心の団体創価学会」の「信心」とは、「法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心」であり「御法主上人に随順(ずいじゅん)する信心」だったはず。それを、自らに都合が悪くなった途端、「法主のみに伝わる唯授一人の相伝などない」と言い出したのですから、開いた口が塞(ふさ)がりません。
「総本山を外護したてまつり、御法主上人に随順するのが、真実の信心」という、以前の池田指導からすれば、今の創価学会には「真実の信心」が完全になくなった、ということに他(ほか)ならないではありませんか。そんな創価学会に、功徳などあるはずがありません。
この際、誤(あやま)てる師(※池田大作さんのこと)はキッパリと捨て去り、「真実の信心」を貫くべく、即刻、大御本尊と御法主上人がおわします大石寺の信心に戻ってこられるべきであります。

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『慧妙編集室 編』

十四、裁判で学会幹部らの悪事が暴(あば)かれました

学会員の皆さん、皆さんは『聖教新聞』で報道される事だけが真実だと思っていませんでしたか。じつは、『聖教新聞』では、創価学会に都合の悪い事は何一つ報道せず、隠蔽(いんぺい)してきたのです。まるで、今話題のどこかの国のようですね。
平成二十年二月東京高等裁判所が学会幹部らに損害賠償金二百八十万円の支払いを命じた、「違法ビラ配布事件」の裁判もそうです。
この違法ビラ配布事件とは、平成十三年九月・同十六年二月の二度にわたり、総本山第六十七世日顕上人と妙観講(理境坊所属の法華講)を口汚なく誹謗(ひぼう)したビラが全国各地で大量にばらまかれたものです。毒々しいカラー刷りのビラには、日顕上人の御写真にオウム真理教の教祖・麻原彰晃の顔写真を並べ、根拠もなく
「妙観講はオウム真理教と同様の狂信的な宗教団体であり、組織的に違法行為ないし反社会的活動を行なっており、住民の生活の平穏を害する危険性がある」
などと書き立てて、妙観講の追放を住民に呼びかける、という大変悪質な内容でした。
いかにも一般市民による追放運動であるかのように装(よそお)っていましたが、目撃証言を手がかりに実行犯のうちの三名を特定したところ、案(あん)の定(じょう)、彼らはいずれも創価学会青年部で、それも総区の副青年部長や分県の青年部長といった大幹部だったのです。
妙観講側は、即刻、これを名誉毀損事件として裁判所に訴えました。その結果、平成二十年二月十三日、東京高裁が、このビラ配布事件を悪質な名誉毀損(めいよきそん)と認定し、くだんの学会幹部らに損害賠償金の支払いを命ずる判決を下したのです。
しかも判決文では、そのビラが両面カラー印刷であり、作成には多額の費用を要すること、ごく短時間のうちに広範囲にわたって大量配布されたこと、配布直後、実行犯の一人が「創価学会の総県幹部、圏幹部、広宣部、男子部の組織を挙げてビラの配布を行なった」と告白していたこと等から、「創価学会のいずれかの組織を構成する、相当多数の学会員が、その意志を通じて関与していたもの」であるとして、創価学会の中の組織的犯行であることを認定しました。
ところが、どうでしょう。創価学会では、副会長クラスの弁護士を投入して大弁護団を組み、精力的にこの裁判に当たってきたにも拘(かか)わらず、学会員の皆さんには結果を知らせることなく、もちろん『聖教新聞』にも一行も報じていません。
少しでも学会に有利なことがあれば、それを針小棒大(しんしょうぼうだい)に誇張(こちょう)して宣伝し、逆に、都合の悪いことは隠蔽する、というのが、これまでの創価学会のやり方でしたが、今回は典型的な後者のパターンです。
こういう情報操作に乗せられて、「学会は平和を目指す団体」などと本気で思い、その一方で学会批判者の悪口を言い合っている学会員の姿は、端(はた)から見れば、哀れそのものです。
このような恐ろしい創価学会から一刻も早く脱会して、すがすがしい気持ちで正しい信仰に励みましょう。

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『慧妙編集室 編』

十三、思い出してください、御登山のあの歓(よろこ)びを!

創価学会における大石寺への登山会は、昭和二十七年、戸田二代会長の発意で始まりました。
この御登山について、戸田二代会長は、次のように指導していました。
「なんといっても、御登山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている」
(『戸田城聖全集』第三巻490ページ)
さらに、三代会長となった池田大作さんも、
「我々が登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受(きょうじゅ)できることは言うまでもないのである。(中略)かかる絶対の大御本尊にお目に
かかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他のいっさいの行事に優先して行われているのである」
(昭和三八年一〇月一日)
と、登山会を「最大の行事」として推奨していたのです。
こうした会長指導のもと、当時、学会員の皆さんは喜々(きき)として登山会に参加していましたね。あなたも、大石寺に参詣して、大御本尊にお目通りさせていただく感激に胸をふるわせ、歓喜した思い出を、きっとお持ちなのではないでしょうか。
交通が便利になった現代と違い、けっして楽な道のりではなかった頃にも、また、金銭的に厳(きび)しい状況の中でも、いろいろな苦難を乗り越えて一生懸命に登山された方々。
全国から、そして世界から集まった同じ志の仲間達・・・。その心は、まっすぐに大御本尊に向かっていたことでしょう。そして、そのような信心の積み重ねの中で、たしかに大御本尊の絶大なる功徳を頂戴(ちょうだい)することができたのではないでしょうか。
ところが、創価学会は、宗門から破門されるや、指導を一変させてしまいました。いわく、「この御本尊は、信仰者の ”内” にあると示され、『全く余所(よそ)に求(もとむ)る事なかれ』と仰せである。当然、『どこか』に行かなければ成仏しないというのは大聖人のお教えではない。」(『創価のルネサンス』第一巻22ページ)
つまり、登山など必要ない、と言い出したのです。
以来、学会は大石寺を「魔山」「邪宗の寺」等と呼び、「登山すると多額の登山費を請求される」「野犬がいて危険」等のウソを吹聴(ふいちょう)し、あげく、秋谷五代会長の口からは、「大石寺をペンペン草のはえた荒れ寺にしてやる」などという、恐ろしい暴言まで飛び出すに至ったのです。
学会員の皆さん、よくお考えください。自分達に都合が悪くなったからといって、「大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることになる」との意義が変わってしまうなんて、変だと思いませんか。
日蓮大聖人は、総本山参詣の意義について、次のようにお示しです。
「仏菩薩(ぶつぼさつ)の住み給(たま)ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦(どくじゅ)し奉る所の法華経の功徳は虚空(こくう)にも余(あま)りぬべし。然(しか)るを毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし。」(『四条金吾殿御返事』)
あの大石寺の清浄な空気に包まれた感動と、大御本尊にお目通りできた感激を、もう一度思い出してください。皆さんは、たしかに大御本尊の信心をされていたはずです。
もう一度、親の元に帰るような気持ちで、大石寺へ参り、信心をやり直しませんか。

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『慧妙編集室 編』

十二、御本尊様は生身(しょうしん)の日蓮大聖人です!

御書に、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」
(『経王殿御返事』)
と示されているように、御本尊は日蓮大聖人の御生命の当体であります。
それゆえ、創価学会においても、かつては
「日蓮正宗の御本尊は、大聖人のご生命ご自身であり、三世十方の諸仏の本尊であり眼目である」(『折伏教典』)
と指導し、池田大作さんも、
「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。
(中略)御本尊を ”物” と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。
信心ではありません」(『大白蓮華』昭和三十九年八月)
と言っていました。
まことにそのとおりで、学会員の皆さんの中にも、かつては、御本尊を大聖人の御当体と固く信じて題目を唱えるなか、考えられないような功徳の体験をした、という方も、たくさんいらっしゃることでしょう。
ところが、その池田さんが、平成五年五月三日のスピーチで、とんでもないことを言い放ったのです。
”職者の声を紹介する” としたその内容は、池田さんが職者から「究極に求められるものは何か」と質問されことに対して、「板曼荼羅(まんだら)の御本尊ではなく、久遠の法です」と答えたこと、さらに、それを聞いた職者が「(池田)名誉会長が、永遠の根元を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭(へんきょう)にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした」と述べたことを挙げ、「やっぱり、曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから」と発言したのです。
さらにまた、平成五年九月七日のスピーチでも、
「本門戒壇の板本尊が何だ! 寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です!」
と述べ、戒壇の大御本尊を ”ただの物” 呼ばわりして侮蔑(ぶべつ)したのです。
これはまさに、大御本尊の否定であり、大謗法です。かつて池田さん自身が指摘していた、「御本尊を ”物” 扱いした罰当たりな発言」そのものではないですか!
池田さんは、御本尊を仏様と拝する信心を完全に失ったのです。だから、ニセ本尊も平気で作れるようになったのでしょう。池田さんは、大聖人の仰せなど、まったく信じていない、エセ仏教者です。
こんな人を『永遠の指導者』と仰ぎ、『人生の師匠』としてついていけば、あなた自身も、地獄に引きずりこまれてしまいます。
学会員の皆さん! 学会の ”昔” と ”今” の指導の格差をよく見比べて、目を覚ましてください。そして、一刻も早く、この恐ろしい大謗法団体から抜け出し、日蓮正宗の正しい信心に立ち返りましょう。

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『慧妙編集室 編』

十一、あなたは許せますか? 学会が金比羅(こんぴら)神社に多額の寄付!

創価学会員の皆さん、あなたはもちろん、神社に布施(ふせ)などしませんよね。
邪宗の神社・仏閣(ぶっかく)に参詣したり布施をすることは謗法(ほうぼう)であり、「わざわひのみなもと」と大聖人が戒(いまし)められていることであります。
ところが、日蓮正宗から破門されて以降、学会の信条はどんどん変質してしまい、平成七年の『聖教新聞』では邪宗の祭りへの参加をよしとする会長指導が掲載(けいさい)されたのです。翌年の夏には、かつて学会の中では”折伏の闘士”とまで評されていた黒柳明氏が、深川の不動尊(ふどうそん)祭りで御輿(みこし)を担(かつ)ぎ、その姿がテレビで放映されました。
その頃から、学会員の中には、平気で邪宗の祭りに参加したり、「邪宗、邪宗と気にしなくていいから、楽になった」と言う人まで現われてきました。
いったい、この謗法容認(ようにん)の体質はどこまでいくのか、と思っていたところ、なんと今度は、大分県に「九州池田記念墓地公園」を建設中だった平成十七年、隣接する金比羅(こんぴら)神社の参道整備に、創価学会として150万円もの寄付を行なっていた、ということが発覚しました。
金比羅神社参道の竣工(しゅんこう)は平成十八年五月、その記念の銘板(めいばん)には「特別寄付者」として「金百五拾萬円也 創価学会」
と、創価学会の名がクッキリと刻(きざ)まれていたのです(※この銘板は、経緯は不明ですが、現在は「創価学会」の名前と寄付金額を削った銘板と交換されてしまっています)。
この寄付は地元自冶会からの要請だったようですが、しかし、その要望書には「金比羅神社への参道を建設する計画」であること、「建設費は200万円を要する」ことが明記されています。つまり、創価学会は、金比羅神社の参道を造(つく)ることを承知の上で寄付をした、ということであります。これは、まさに、大聖人が『立正安国論』等において固く禁じられた「謗施(ぼうせ)(謗法への不施」、そのものではありませんか。
学会員の皆さん! 皆さんは、この現実をどう思いますか。これが本当に、「大聖人の仰せのとおりの信心」なのでしょうか。
もうおわかりでしょう。今の創価学会は、大聖人の仏法とは全くかけはなれた姿に成り果ててしまったのです。
こんな邪宗・謗法にまみれた創価学会に身を置いていれば、あなた自身も与同罪(よどうざい)は免(まぬが)れられません。今すぐキッパリと脱会を決め、正宗寺院へ行って正しい信心に立ち返りましょう。

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『慧妙編集室 編』

十、学会を脱会して大石寺に戻った人達は、功徳に満ちています!

創価学会の皆さん、今、幸福ですか。このように尋(たず)ねれば、「幸福です!」との言葉が返ってくることでしょう。でも、よくよくお考えいただきたいのです。学会で信心していて、本当に皆さん、幸福になっているのでしょうか。
「学会で信心していけば幸せになれる」そう言われ続けてきたものの、個々の生活を振り返れば、どうもうまくいかない、悪いことばかりが降りかかる・・・というのが正直なところではないでしょうか。
ニセ本尊を拝み、血脈の切れた創価学会にいるかぎり、大御本尊の功徳はいただけないのです。
学会の中では、「学会をやめたら地獄に堕(お)ちる」「法華講に行った人も、罰(ばち)を受けて学会に戻ってきている」などと聞かされて、脱会するのは恐ろしいことと思っていらっしゃる方が多いようですね。でも、それは、学会離れをくい止めようとして流している嘘(うそ)です。実際には、学会を脱会して法華講員となった人達は皆、功徳に満ちた歓喜(かんき)の毎日を送っていらっしゃいます。
ここにいくつかの体験をご紹介しましょう。
東京都世田谷区にお住まいのMさんは、学会員だった当時、事業に行き詰まり、多額の借金を背負(せお)って、どんどん精神的にも追い詰められていきました。
そのような時に、Mさんは、法華講員から折伏を受けて、初めて学会の誤りを知り、学会に身を置くこと自体が不幸の根本原因になっていることに気づいて、法華講員となったのです。
それ以来、法華講員として正しい信心に励んできたMさんは、みるみる明るさを取り戻し、事業もどんどん順調に進みだして、多額の借金もわずか三年ほどで全(すべ)て返済することができました。
また、千葉県にお住まいのWさん一家は、家族全員が熱心な学会幹部でした。しかし、大石寺を誹謗(ひぼう)するようになった学会に疑問を持ち、家族揃(そろ)って学会を脱会して、法華講員になりました。
学会からの嫌(いや)がらせにも届せず、家族一丸となって正信を貫(つらぬ)いてきたところ、御主人の前立腺ガンが完治し、さらには脳梗塞(のうこうそく)の後遺症(こういしょう)も目を見張るほどに回復を遂(と)げました。
また、お孫さんも、手術しても治せなかった生まれついての病気が、御本尊様の御加護で、なんと自然治癒(ちゆ)してしまったのです。
他にもたくさんの方々が、大石寺の信仰に戻って、本当の御本尊様の功徳を頂戴(ちょうだい)し、幸福を実感しておられます。
学会員の皆さん、あなたも一刻も早く、不幸の根源である創価学会を脱会し、大石寺の正しい信心に戻って来られるよう、心からお待ちしています。

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『慧妙編集室 編』

九、血脈(けちみゃく)の切れた学会に功徳はありません!

学会員の皆さんは、「唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承(けちみゃくそうじょう)」という言葉を知っていますか。”学会ではキチンと教えてもらったことがない”という人でも、言葉くらいは覚えていることでしょう。
この「唯授一人の血脈相承」は、日蓮大聖人の仏法においては大変重要なことで、これがなければ、功徳が流れなくなってしまうのです。それゆえ、池田大作名誉会長も次のように述べていました。
「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然(げんぜん)とおわします。そして宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人(ごほっすしょうにん)が法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)・血脈相承され、現在は、第六十七世日顕上人猊下(げいか)にいっさい受け継(つ)がれているのである。」
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順(ずいじゅん)しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。創価学会は御歴代(ごれきだい)の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する。」
「法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持(たも)つも無益(むやく)であり、功徳はないのである。」(以上、『広布と人生を語る』より)と。
池田大作名誉会長ばかりではありません。秋谷栄之助前会長も、平成三年一月の時点で、
「血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極(きゅうきょく)の悪業(あくごう)」(『聖教新聞』)とまで述べていました。
唯授一人の血脈相承とは、仏法の全てが、宗祖日蓮大聖人から第二祖日興上人、日興上人から第三祖日目上人・・・・・・と、代々の御法主上人に受け継がれていくことをいいます。
この血脈相承によって、大聖人の御法魂(ごほうこん)は、全く断絶することなく未来永劫(みらいえいごう)に亘(わた)って受け継がれ、衆生(しゅじょう)を利益していくのです。
これとは別に、血脈には「信心の血脈」というものもあります。これは、僧俗各々が、唯授一人の血脈を受け継がれる御法主上人の御指南に従って信心修行に励むところに、血脈が分(わ)かち与(あた)えられ功徳があることをいいます。
以上を、分かりやすく人体の血管に例(たと)えて言いますと、血液(功徳)は、心臓(大御本尊・大聖人)から大動脈(唯授一人の血脈相承)を通り、そこから身体中の毛細血管(信心の血脈=個々の信心)に流れていくのです。
これを、もし大動脈を吹っ飛ばして、心臓からいきなり毛細血管に血液を流そうとしたら、どうなるでしょう。当然、毛細血管はことごとく破裂(はれつ)して、その人の身体は破滅(はめつ)してしまいますね。だから、大聖人は、
「総別(そうべつ)の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死(りんねしょうじ)のもとゐたらん」
(『曾谷殿御返事』)
と仰せられて、この二つの立て分けを絶対に混乱させてはならない、と厳(げん)に戒(いまし)めておられるのです。
ところが、現在の創価学会はどうでしょう。
「創価学会は大聖人直結だ」などと言って、唯授一人の血脈を否定し、御法主上人を口汚なく誹謗しているではありませんか。これは、池田さんや秋谷さんの言葉をそのまま借りれば、まさに「いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はない」のであり、「究極の悪業(あくごう)」を積むことになるのであります。
それを指摘された学会は、「その頃は宗門を守るために言ったのだ」といってごまかそうとしますが、それでは、池田さんも秋谷さんも、宗門を守るために、あえて会員に対して間違った指導をしていた、とでも言うのでしょうか。そんな馬鹿な話はありません。
さて、学会員の皆さん! いまや皆さんは、学会の信心をしていても全く功徳がない、功徳がないばかりか、悪い事ばかりが続いていることに気づいているのではありませんか? 早く、血脈の切れた創価学会から抜けて、血脈付法(けちみゃくふほう)の御法主上人のもと、正しい信心に立ち返ったほうが賢明であります。

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わかりやすい創価学会の誤り・創価学会員の皆さんへ

『慧妙編集室 編』

八、新聞啓蒙(けいもう)や ”財務” はもうイヤ!

学会員の皆さん、創価学会にいると、時々、借金の取り立て屋に追い回されているような気分になりませんか。
毎月の『聖教新聞』や『創価新報』、『大白蓮華』や『グラフSGI』に『公明新聞』、頻繁(ひんぱん)に出版される単行本__本当に大変ですね。
学会活動はほとんどしていないという人でも、『聖教新聞』だけは購読(こうどく)させられます。
毎月二千円近くも払って、せいぜい見出しとテレビ欄(らん)くらいしか見ないのに、近所の学会員の目が怖(こわ)くてやめるにやめられず、仕方なく取り続けているという人も、かなりいるようです。
これが、学会活動に参加している人となると、もっと大変です。「新聞啓蒙」と称して、『聖教新聞』の拡販(かくはん)をせかされるのですから。
一人で二部・三部の購読は当たり前、中には十部・二十部と抱(かか)え込(こ)んで、処分に困(こま)っている人もたくさんいます。
こんなやり方で、「発行部数が五百万部を超えた。一般三大紙に比肩(ひけん)する」などと自慢されても、虚(むな)しいばかりです。
さらに、学会員の皆さんが追い立てられる金銭集めに、年に一度の「財務」がありますね。
この財務の納入時期になると、「三ケタ(百万円単位)の財務をしたら、功徳があった」等、コジツケとしか思えない体験発表が頻繁(ひんぱん)に語られ、さらに「あの人は○○万円をするそうだ。この人は○○万円だ」と、会員同士(どうし)で競い合わせたり、「あなたなら、もっとできるんじゃないの?」と、何度も説得に来たりする幹部もいます。
こうして、会員の名聞名利(みょうもんみょうり)の心につけ込んで集めた金銭は、一回の財務で二千億円にも三千億円にもなる、と言われており、これが創価学会の金満(きんまん)体質を支(ささ)えているのです。
ちなみに、この学会の金集め体質を、世間でどのように言われているか、会員の皆さんは知っていますか。
「オウム真理教は、入信の時に身ぐるみ財産を剥(は)ぎ取(と)られるけれど、創価学会は、死ぬまで、毎年毎年、有(あ)り金(かね)を全部、持っていかれる」
と言われているのですよ。
それで本当にご利益(りやく)があるのかというと、実際には、毎年多額の財務をしてきたはずの人が家業(かぎょう)を倒産させて路頭(ろとう)に迷ったり、経済苦から抜(ぬ)け出(だ)せなかったり、というケースが、あちこちに蔓延(まんえん)しているのです。功徳(くどく)がない証拠(しょうこ)ですね。
あなたも、学会の無益な金集めにつき合わされて、辟易(へきえき)しているのではありませんか。
本当に功徳を積んで幸せな一生を送りたかったら、早く学会と決別(けつべつ)して、日蓮正宗の正しい信仰に戻(もど)って来るべきです。

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