月別アーカイブ: 2015年5月

あなたが拝んでいるのはニセ本尊ではありませんか?

創価学会員の方へ!

創価学会の本尊はなぜ『ニセモノ』なのか?

もし、カラーコピーで紙幣[しへい]を複写[ふくしゃ]し、お札[さつ]を作製[さくせい]するとします。どんなに本物[ほんもの]と見分[みわ]けがつかないほど精巧[せいこう]に作[つく]られたとしても、それは『ニセ札』であり、作製し使用[しよう]すれば法的[ほうてき]に罰[ばっ]せられることになります。なぜなら、

① 政府[せいふ]の正式[せいしき]な許可[きょか]がなく
② 日本銀行[にっぽんぎんこう]から発行[はっこう]されたものではなく
③ 自分[じぶん]で勝手[かって]に作ったもの

だからです。創価学会の『ニセ本尊』もまったく同[おな]じ道理[どうり]です。

① 御法主上人[ごほっすしょうにん]の許可[きょか]を受[う]けず
② 総本山[そうほんざん]から下付[かふ]されたものではなく
③ 創価学会が御本尊を勝手にコピーして作製したもの

だから『ニセ本尊』というのです。

『ニセ本尊』を拝[おが]んではいけません!

『ニセ本尊』を受[う]けてから、あなたは様々[さまざま]な問題[もんだい]に悩[なや]んでいませんか? 例[たと]、えば、原因不明[げんいんふめい]の病気[びょうき]や経済苦[けいざいく]、家庭不和[かていふわ]など・・・・・・。
『ニセ本尊』には、正法[しょうぼう]に敵対[てきたい]する魔[ま]の力[ちから]があり、これを拝むと魔の通力[つうりき]によって、身心[しんしん]を破滅[はめつ]させる恐[おそ]ろしい悪業[あくごう]を積[つ]むことになるのです。
あなたが『ニセ本尊』を拝んでいるなら、一刻[いっこく]も早[はや]く日蓮正宗[にちれんしょうしゅう]の寺院[じいん]を訪問[ほうもん]して、正[ただ]しい御本尊に帰依[きえ]すべきです。幸[しあわ]せへの一歩[いっぽ]はそこから始[はじ]まるのです。

戸田城聖[とだじょうせい]創価学会第[だい]2代会長[だいかいちょう]の指導[しどう]

「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様[にちれんだいしょうにんさま]のお悟[さと]り、唯授一人[ゆいじゅいちにん]、代々[だいだい]の法主猊下以外[ほっすげいかいがい]にはどうしようもない」
(大白蓮華[だいびゃくれんげ] 昭和34年7月号9ページ)

創価学会版『折伏教典[しゃくぶくきょうてん](改訂版[かいていばん] 昭和33年6月)』

「富士大石寺[ふじたいせきじ]の大御本尊を拝まないものはすべて謗法[ほうぼう]である(中略)大石寺にそむく謗法の輩[やから]がもつご真筆[しんぴつ]の御本尊には、大聖人の御[おん]たましいは住[す]まわれるわけがないのである(中略)信仰[しんこう]の対象[たいしょう]として一切[いっさい]をささげて南無[なむ]し奉[たてまつ]る御本尊であるから、御山[おやま]においては御相伝[ごそうでん]により、代々の御法主上人お一人[ひとり]が、したため遊[あそ]ばされるものであり、我[われ]ら信者[しんじゃ]が云々[うんぬん]すべきも恐れあることである」(折伏教典322ページ)

広宣流布[こうせんるふ]の本当[ほんとう]の意味[いみ]は

日寛上人[にちかんしょうにん]は、
「富士山[ふじさん]は是[こ]れ広宣流布の根源[こんげん]の故[ゆえ]に。根源とは何[なん]ぞ、謂[い]わく、本門戒壇[ほんもんかいだん]の本尊[ほんぞん]是れなり」
(六巻抄[ろっかんしょう]68ページ)
と仰[おお]せです。つまり、全世界[ぜんせかい]の人々[ひとびと]が総本山大石寺[そうほんざんたいせきじ]に厳護[げんご]される本門[ほんもん]戒壇の大御本尊[だいごほんぞん]に帰依[きえ]して南無妙法蓮華経[なんみょうほうれんげきょう]を唱[とな]えることを「広宣流布」といいます。
大御本尊とは無縁[むえん]の団体[だんたい]である創価学会[そうかがっかい]の教[おし]えが広[ひろ]まっても、それは広宣流布とはいいません。総本山第[そうほんざんだい]66世[せ]日達[にったつ]上人もかつて、
「日蓮正宗[にちれんしょうしゅう]の教義[きょうぎ]でないものが一閻浮提[いちえんぶだい]に広[ひろ]がっても、それは広宣流布とは言[い]えないのであります」
(日達上人全集[ぜんしゅう]2-6-295ページ)と明確[めいかく]に示[しめ]されているとおりです。

奉安堂1
大御本尊が厳護されている奉安堂

本因妙抄[ほんにんみょうしょう]

此[こ]の血脈並[けちみゃくなら]びに本尊[ほんぞん]の大事[だいじ]は日蓮嫡々座主伝法[にちれんちゃくちゃくざすでんぽう]の書[しょ]、塔中相承[たっちゅうそうじょう]の稟承唯授一人[ほんじょうゆいじゅいちにん]の血脈[けちみゃく]なり。相構[あいかま]へ相構[あいかま]へ、秘[ひ]すべし伝[つた]ふべし
(御書1684ページ)

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創価学会が破門された理由・本来の使命と目的を見失った創価学会!

創価学会員の方へ

創価学会設立の目的とは?

創価学会は、日蓮正宗の信徒であった牧口常三郎氏が中心となって、教育者信徒が集まり、昭和五年十一月に「創価教育学会」として創立されました。その後、日蓮正宗の信徒団体となり、昭和二十一年三月、牧口氏のあとを受けた戸田城聖氏が「創価学会」名称を改めて再建[さいけん]しました。
第二代戸田会長は、創価学会が「宗教法人」を取得するに際して、宗門に対し、
一、折伏した人は信徒として(日蓮正宗の)各寺院に所属させること
二、当山[とうざん](日蓮正宗大石寺)の教義を守ること
三、三宝(仏・法・僧)を守ること
の三原則を守ると約束しました。そして、東京都知事より宗教法人の認証を受けたのです。この時の「創価学会」規則には、
「この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき・・・」
(宗教法人「創価学会」規則 昭和二十七年八月二十七日付)
とあり、総本山大石寺に厳護[げんご]する本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、日蓮正宗の教義に基づいて信仰する団体であることが明記されていました。これが、創価学会設立の目的です。

創価学会の本来の使命!

創価学会の本来の使命は、歴代会長の言葉に明白です。

牧口常三郎 初代会長
「大善生活がいかにして吾々[われわれ]の如きものに百発百中の法則として実証されるに到ったか。それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺にのみ正しく伝はる唯一の秘法があることを知らねばならぬ」(大善生活実証録 第四回総会報告13ページ)

戸田城聖 第二代会長
「日蓮大聖人様から六百余年、法灯連綿[ほうとうれんめん]と正しくつづいた宗教が日蓮正宗である」
(戸田城聖全集3-111ページ)
「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である」(同113ページ)

池田大作 第三代会長

「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、大御本尊様にお仕[つか]え申しあげ、御法主上人猊下に御奉公申しあげることが、学会の根本精神であると信じます」
(昭和三十五年五月三日会長就任挨拶 大白蓮華 昭和三十五年六月号7ページ)

日蓮正宗の教義に背反した創価学会

平成二年以降、創価学会は本来の使命と目的から大きく逸脱[いつだつ]して、御法主上人および日蓮正宗をあらゆる手段を用いて攻撃し、本宗伝統の血脈[けちみゃく]相伝による下種仏法、化儀化法、信仰にも著しく背反[はいはん]したのです。
日蓮正宗は、創価学会に対して再三にわたり教導しましたが、創価学会はこれを無視し、一片[いっぺん]の反省懺悔[ざんげ]もないまま、ますます誹謗[ひぼう]・攻撃を加えたため、平成三年十一月に日蓮正宗から破門されました。
これによって創価学会は、日蓮大聖人の仏法から離れ、日蓮正宗の信徒団体ではなくなってしまいました。したがって、正法の血脈も流れ通わなくなり、御本尊の功徳も顕れなくなったのです。
このような創価学会に所属するかぎり、成仏は絶対にできません。
自身や家族の成仏のため、また、人生に悔いを残さないためにも、日蓮正宗寺院に詣[もう]でて僧侶の話を聞き、一日も早く日蓮正宗信徒となって、清々[すがすが]しく総本山大石寺に登山いたしましょう。

創価学会問題・略年表

(平成2年11月16日) 池田大作、法主および日蓮正宗に対する誹謗中傷の慢心スピーチを行う

(同年12月) 宗門、創価学会へお尋ね文書を送付し、池田大作スピーチの本意を糾す

(平成3年1月) 創価学会、組織を動員した宗門攻撃を開始

(同年2月ころ) 創価学会、日蓮正宗僧侶を排除した学会独自の「同志葬」を開始

(同年11月7日) 宗門、創価学会・SGIへ解散勧告

(同年11月28日) 宗門、創価学会・SGIを破門

(平成4年8月11日) 池田大作信徒除名

(平成5年10月) 創価学会『ニセ本尊』を販売開始

(平成9年2月8日) 創価学会第五代・秋谷会長が「謗法払い不要」の謗法容認発言

(同年12月1日) 創価学会員の日蓮正宗信徒資格が喪失

(平成14年4月1日) 創価学会、会則を変更し、「この会は、日蓮正宗の教義に基づき」「本門戒壇の大御本尊を根本」等の文言を削除

(平成16年9月9日) 創価学会、五座三座の勤行方式を改変

三門

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ニセ本尊がニセである理由

ニセ本尊がニセである理由 ■御法主上人猊下の允可(いんか)なき故に

「曼荼羅(まんだら)書写の大権は唯授一人(ゆいじゅいちにん)金口(こんく)相承の法主(ほっす)に在(あ)り敢(あえ)て沙弥輩(しゅみのやから)の呶呶(どど)する事を許さんや」
(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』)
「曼荼羅書写本尊授与の事は宗門第一の尊厳の化儀なり」
(同上)

古来より日蓮正宗においては、御本尊の書写・授与の権能(けんのう)は、それが常住御本尊であれ御形木(おかたぎ)御本尊であれ、その根本は、唯授一人の血脈(けちみゃく)御相伝に基づく、御法主上人の専権であります。
それを創価学会などという在家団体が、「自分たちに信心の血脈があり、御本尊授与の資格がある」などと放言することは、日興上人以来の唯授一人の血脈相承(けちみゃくそうじょう)と相伝の仏法の正意の背(そむ)く大罪です。
また日寛上人は、日蓮正宗総本山大石寺の第二十六世御法主上人猊下であられます。創価学会は何かにつけて日寛上人を讃歎しますが、実際には学会とは何の関係もないお方です。創価学会の歴代でもなければ、また宗門を離脱した浄圓寺の歴代でもありません。
にもかかわらず、総本山御法主上人猊下の允可もなく、日蓮正宗とは何の関係もない新興宗教団体である創価学会が、勝手に日寛上人書写の御本尊を利用するのは、泥棒と同じであります。
また、日蓮正宗より擯籍(ひんせき)され、すでに僧籍のない成田宣道に、浄圓寺の重宝御本尊を持ち出し、学会に提供する資格なども、もちろんありません。これも泥棒です。

■開眼なき故に

「開眼供養せざれば家に主なきに盗人が入り、人の死するに其(そ)の身に鬼神入るが如し」
(『木絵二像開眼の事』御書638頁・学会版御書469頁)
「開眼と云うは、眼(まなこ)を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益(やく)も無く用(ゆう)も無し」
(第二十二世日俊上人『本門如来寿量品二十三座』/『歴全』3-3頁)
「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」
(第五十六世日応上人『弁惑観心抄』/研究教学書27-474頁)
「木絵の二像は本(も)と草木にて有り、然(しか)るを生身(しょうじん)の妙覚の仏と開眼したまふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至(ないし)日因に至る迄三十一代累も乱れず相伝是れなり」
(第三十一世日因上人)

学会製ニセ本尊には、もちろん、仏力も法力も備わりません。それどころか日蓮大聖人の御教示のとおり、開眼のないニセ本尊には悪鬼神が入り込み、それを持つ者、拝む者を一人残らず無間(むけん)地獄へと堕(お)とすのです。まさしく大謗法の根源であり、その恐ろしさをよくよく知らねばなりません。
創価学会は「開眼など必要ない」と言いますが、これは大聖人様、御歴代上人様の御教示を無視する大謗法の暴言に他なりません。
日蓮正宗の真正の御本尊は、常住御本尊であれ御形木(おかたぎ)御本尊であれ、すべて必ず、御法主上人猊下によって丑寅勤行の際に開眼供養がなされています。
今回、学会版ニセ本尊の元となった「浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊」も、一機一縁の御本尊として浄圓寺十六代住職・日證師に授与されるにあたり、日寛上人によって開眼供養されています。しかし、それはその一体の御本尊についての開眼であり、現代にいたって創価学会がその御本尊を改竄して複写し、大量に偽造した分については、開眼も何もないのです。
重ねて言います。
御法主上人の開眼のないニセ本尊には、仏力も法力も具(そな)わりません。凡夫学会員がいかに信力・行力を発動しようとも、それによって仏力・法力が顕(あらわ)れるなどということはありません。
第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「当(まさ)に知るべし、蓮華は水によって生じ、我等が信力・行力は必ず法力によって生ずるなり。若(も)し水なくんば則(すなわ)ち蓮華生ぜず、若し法力なくんば何んぞ信行を生ぜん。(中略)我等、法力により信力・行力を生ずと雖(いえど)も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず」
と、明確に御教示されています。
正しく開眼された御本尊は、日蓮大聖人の御当体として仏力・法力が具わっており、その御本尊に我々が信力・行力を発動することによって、四力(しりき=仏力・法力・信力・行力)が合(がっ)して即身成仏がかなうのです。しかし、仏力・法力のないニセ本尊では、いかに頑張ってもそれは不可能です。
それどころか、開眼供養のないニセ本尊には悪鬼・魔性が入り込んでいます。もしこんなものを拝めば、功徳どころか、堕地獄(だじごく)の大悪業(だいあくごう)を積むことになり、現罰(げんばち)は免れようがありません。

■日寛上人の御心を踏みにじるが故に

先述のとおり、学会がニセ本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺十六代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という授与書きが入っています。
日寛上人は、あくまでも浄圓寺十六代住職・日證師への御化導(ごけどう)のために、一機一縁の御本尊を書写あそばされ、授与書きを認(したた)められ、日證師に授与されたのです。しかるに創価学会は、この日寛上人の御意志を踏みにじり、その一機一縁の授与書きを勝手に削除し、これを大量に複製して不特定多数の会員に配布しました。これが日寛上人への冒涜(ぼうとく)でなくて何でありましょうか。
また創価学会では、
「一機一縁の御本尊とは、大聖人の直筆の御本尊のうち、本門戒壇の大御本尊以外の御本尊のことをいう。御歴代の書写された御本尊は『分身散体(ふんじんさんたい)』『分身散影(ふんじんさんよう)』と呼んで、一機一縁の御本尊とは区別する」
などという意味不明な定義を勝手に作り上げ、学会製本尊がニセではないと主張し、学会員を欺(あざむ)いているようです。
しかし日蓮正宗においては、「一閻浮提総与」である本門戒壇の大御本尊以外の御本尊は、他の大聖人御直筆の御本尊も、御歴代上人が書写あそばされた御本尊も、その御形木(おかたぎ)も、すべて「一機一縁の御本尊」です。上記のような珍説は、学会が自分たちを正当化したいがために勝手なことを述べ立てているに過ぎません。
したがって、浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊は「一機一縁の御本尊」であり、学会の言い逃れは通用しません。学会製ニセ本尊は、どんなに姿・形が日寛上人の御本尊と似ていても、真正の御本尊ではあり得ず、日寛上人の御徳を汚(けが)し、上人を冒涜するものです。だから「ニセ本尊」なのです。
さらに前述のとおり、中央首題・梵(ぼん)字・四天王などの文字を、太くしたり伸ばしたりして、勝手に加筆しました。これは「変造本尊」に他なりません。
創価学会は昭和30年代のその昔、その興隆期において、御宗門より日寛上人の御本尊を御形木御本尊として下付されていました。だから今回のニセ本尊も、日寛上人の御本尊を利用することによって、同じように功徳があるように見せかけることができると考えているのでしょうか。
日蓮正宗の中興の祖であり、教学の大成者である日寛上人の御本尊であれば、信徒の尊崇の念も篤(あつ)く、その名声を悪用すれば会員の動揺も防げるし、身延日蓮宗等と同一視されることもないという、周到な計算があったことでしょう。実に小狡(ずる)い者たちであります。

以上、ごく簡略ではありますが、「学会製ニセ本尊のニセたる所以」と、その大罪・大謗法について記しました。
さらに重ねて言います。こんな「魔性の札」を持(たも)ち拝めば、堕地獄は疑いありません。「若(も)し悩乱する者は頭(こうべ)破れて七分となる」は、厳然たる事実として、ニセ本尊を持つ者すべてに突きつけられるのです。これは脅しでも何でもなく、すでにその現証は枚挙にいとまがありません。
学会のウソに惑わされることなく、正直な眼(まなこ)で正邪の分別をつけ、早く信仰の寸心を改めてください。

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ニセ本尊

ニセ本尊

これが学会が勝手に製造・販売している「ニセ本尊」。日蓮正宗の御本尊は一体一体、表具師が表装しているが、このニセ本尊は、カレンダー等と同じく表装なしの「一枚刷り」になっている。

「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」
(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖)

平成3年11月に日蓮正宗より破門され、総本山より御本尊の御下付をいただけなくなった創価学会は、平成5年9月、あろうことか「ニセ本尊」の製造・配布の実施を聖教新聞紙上で発表し、その後、大々的に御本尊の交換を進めました。
戸田城聖氏の言う「代々の法主猊下以外にはどうしようもない」はずの御本尊を、御法主上人猊下の許しもなく勝手に改竄(かいざん)し、我がモノ顔で会員に配布したことは、まぎれもなく「本門戒壇の大御本尊との決別」「身延日蓮宗以下の邪教化」を意味するものです。この時点で創価学会は、越えてはならない一線を越えてしまいました。
例えば一万円札の偽造紙幣も、それが本物に近ければ近いほど、本物と見分けがつきにくい精巧なものであるほど、社会を混乱させる力が強く、その罪は重くなります。ましてや、それが信仰の対象たる本尊であれば、その大謗法の重罪は想像を絶するものです。
また偽札は、どれほど良くできた精巧なものであっても、日本国家の許可なく造られた犯罪物そのものであり、それが正規の紙幣として効力を発揮することはありません。学会製のニセ本尊も、御法主上人猊下の許可・允可(いんか)なく偽造されたものであり、それを拝んで功徳(くどく)・利益(りやく)があるどころか、逆にその魔性によって堕地獄は必定(ひつじょう)です。
また何よりも、学会に回収された本物の御本尊は、まとめて御不敬され、一体として宗門に返納されていません。日本中で、数百万体の本物の御本尊が大量に御不敬され、同時に、数百万体ものニセ本尊が流布したのですから、日本はまさに大謗法の国土となってしまい、その現罰で、地震・噴火・大不況・凶悪犯罪の多発といった災厄が国中を覆うことになるのです。
御本尊の右肩に、「若(も)し悩乱する者は頭(こうべ)破れて七分となる」とあるとおり、大切な御本尊を手放して御不敬され、替わって悪鬼魔神のニセ本尊を祀(まつ)っているような人は、頭破七分・堕地獄(だじごく)は疑いないのであります。
学会破門以後に創価学会に入会した人、また、本来は日蓮正宗の御本尊を護持(ごじ)していたにもかかわらず、無理やり学会製ニセ本尊に交換させられてしまった人など、多くの学会員がこの「魔性の札(ふだ)」を押しつけられてしまっています。多くの人々が、このような恐ろしい魔札によって、例外なく抜けようのない堕地獄の不幸の淵(ふち)に沈んでしまうのです。
この第四項では、学会製ニセ本尊がいかなる理由によりニセ本尊であるのか、その詳細をあらためて明示し、一人でも多くの学会員がその恐ろしさに気づいてくれることを強く願うものです。

ニセ本尊の改ざん箇所 下の画像は、右側が「学会製ニセ本尊」、左側が、その元となった日寛上人様の御本尊です。今回の本尊偽造にあたって、創価学会が勝手に手を加え改竄した個所を、[A]~[D]に示しました。
ニセ本尊2

ニセ本尊の改ざん箇所の解説

[A]一機一縁の授与書きを抹消

今回、学会が偽造本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺16代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という添え書きが入っています。
しかるに学会は、この授与書きを勝手に抹消(これは御本尊の変造です)して、多くの会員に配布したのです。

[B][C][D]筆跡にまで加筆

一機一縁の授与書きを抹消するのみならず、学会は中央首題「経」の字[C]・梵字[B]・大増長天王の「天」の字[D]の筆跡にも手を加え、線を伸ばしたり太くしたりと、恐れ多くも御本尊に好き勝手に筆を加えています。
筆跡が勝手に書き変えられたということは、形式的にも「御形木御本尊」とは呼べません。この時点ですでに、日寛上人の御筆による御本尊ではなく、「どこかの誰かが勝手に変造した本尊」であります。

なお学会では、「学会の本尊と、浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊は、明らかに別の御本尊である」などという見苦しい言い逃れもしているようであります。 それならば、学会が今回のニセ本尊を作成する元になった御本尊はどこから持ってきたのか、明確に示して反論すればよいのです。上の画像のとおり、学会製ニセ本尊は、浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を元に偽造されたモノに間違いないではないですか。 それでも違うというなら、自分たちが持っている「本物」と、浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を並べて示すべきです。

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阪神・淡路大震災

平成7年1月17日未明、阪神・淡路地区を突如襲った大地震……震度7の激震と大規模な火災の発生によって、死者5500名、負傷者27000名、破損した家屋は11万棟にも及ぶという、戦後最大の被害となりました。
もともと神戸近辺は、昔から「まず大地震は起きない」といわれてきた地域です。そのような場所で、突如、あのような大規模な地震が起きたのには、やはり大きな原因があるはずです。
創価学会では、平成7年を「関西勝利の年」「兵庫の時代」と銘(めい)打っていました。そのせいもあってか、ニセ本尊への交換が急ピッチで進められ、震災直前の15日と16日には、兵庫の各会館でニセ本尊が大量に配布されました。
このことは、同時に、それまで各会員に下附されていた日蓮正宗の御本尊が大量御不敬された(学会は正宗の御本尊を回収し、一括焼却しています!)ということでもあります。
日蓮大聖人は、
「謗法の法師(ほっし)一閻浮提(えんぶだい)に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)
と仰せられていますが、まさに、大謗法であるニセ本尊が一気に充満したために、大地が波のごとく踊(おど)った、という現証にほかなりません。
また、この地域に住んでいた会員は、といえば、
「『四支部とも焼けてもうたんですわ』。本部長の宮本満さんは語った。(中略)文字通り壊滅状態」(『聖教新聞』平成7年2月15日付)
等の報道のとおり、家がつぶれて跡形もなくなったり、圧死や焼死で亡くなった方も非常に多かったのです。そして『聖教新聞』には、ただ一面も、ただ一人も、「私はこのように御本尊に護られました」という体験は掲載されていません。学会のニセ本尊は、誰も救わなかったどころか、多くの学会員を地獄に叩き落としたのです。とくに、一番被害のひどかった長田区一帯は、学会員が一番密集していた地域でした。
それに対して日蓮正宗の僧俗は、一部に被害はあったものの多くの人々が御本尊に護(まも)られ、皆が大功徳の体験に包まれていました。
人として、悲しく痛ましいことではありますが、この学会員の悲惨・無惨(むざん)な被災の現実、この現証を、よくよく考えるべきではありませんか。

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集票活動(F取り)は仏道修行ではありません!

集票活動(F取り)は仏道修行にあらず!

―政権奪取を目指したことで誤りが拡大―
―己義の法門と謗法容認路線に陥(おちい)る―

(『慧妙』H25.5.1)

【選挙と王仏冥合は無関係】
―大聖人に政権取り思想なし―
 創価学会の何が間違っていたのか、を考えた時、見逃すことができないのは、公明党を支援するための選挙活動(もっとハッキリいえば集票活動)です。
 創価学会では、選挙活動を「王仏冥合(みょうごう)の法戦」などと称し、あたかも重要な仏道修行であるかのごとく会員達に教えてきました。
 しかし、そもそもそれが大きな誤りで、選挙活動は「王仏冥合の法戦」でもなければ、仏道修行でもなかったのです。
 まず、「王仏冥合」という用語は、『三大秘法抄』の
●王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(御書P1595)
——————-
との一節―すなわち広宣流布の暁(あかつき)には、為政者も国民も一同に三大秘法を信受し、政治をはじめとする一切の世間法が仏法の慈悲と叡智(えいち)によって行なわれる世の中になる、との意によるものですが、学会はこの御文を、仏法を持(たも)つ自分達が自前の政党を作って政権を取らなくてはならない、という意味に用(もち)いました。
 もし、この御金言がそのような意味であるとしたなら、すでに日蓮大聖人御自身が鎌倉幕府に取って代(か)わるための政治活動(学会のいう「王仏冥合の法戦」)をしていなくてはならない筈(はず)ですが、大聖人の御金言の中に、それを示すような内容は全くなく、また現に、そのような活動をされた事実もありません。
 大聖人がなさったことは、時の為政者が誰であれ、邪宗を捨てて正法を信受しなくては真の平和と安寧(あんねい)を築くことはできない、と訴え、折伏していくことに尽きているのであります。
 このことから考えれば、前の『三大秘法抄』の一節は、あらゆる人々を折伏して正法に帰依させていくことによって実現する世相を示されたものであり、けっして、”自分達が政権を取らなくてはならない”等の意味でないことは明白でありましょう。
 したがって、公明党の集票活動を、「王仏冥合の法戦」などと位置付けたことは、日蓮大聖人の御正意からも外れる、まったくの我意我見だったということです。
 では何故、学会では、会員を「王仏冥合の法戦」などと欺(あざむ)き選挙活動に駆り立てたのでしょうか。それは池田大作3代会長(当時)の
◆天下をとれることが少し私には見えて来た。天下をとらない党なら、やる必要はない(公明党議員との記念撮影・S51.11.16)
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との発言にも明らかなとおり、池田創価学会が天下を取って日本の国家機構を支配するためには、公明党による政権取りは絶対に必要なファクターだったからに他なりません。

【「選挙に功徳」と会員騙(だま)す】
―票欲しさに邪宗参詣まで容認―
 この”政権取り”を至上命題として、学会員を集票活動に駆り立てた結果、創価学会は仏法上から見て大きな誤り(仏法違背〈いはい〉)に陥(おちい)りました。
 「F取り(Fとはフレンド票の略。非学会員と仲良くなって公明党に投票してもらうこと)には大功徳がある」「Fを1票取ることは、1人折伏して入信させるのと等しい功徳がある」―学会員の方々は、こういう指導を聞いたことがある筈です。選挙になれば、必ず全国の組織を通じて、繰り返し流されていた指導ですから。
 しかし、すでに明らかにしたとおり、選挙活動は「王仏冥合の法戦」ではありませんから、集票活動も仏道修行ではなく、そこに折伏行と等しい大功徳があるなどというのは、とんでもない誤りです。日蓮大聖人は、
●私ならざる法門を僻案(びやくあん)せん人は、偏(ひとえ)に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間(むけん)大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。(中略)総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし(御書P1370)
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と仰(おお)せられ、大聖人が立てられてもいない修行法を勝手に考え付く者、およびそれに感化されて実践する者達は、共に無間地獄に堕(お)ちると戒(いまし)められています。この御金言を拝すれば、選挙活動を仏道修行であるとする学会の誤り、罪の深さは明白でありましょう。
 さらに、学会の仏法違背はこれに止まりません。
 公明党が政権を取るためには、何が何でも票を集めることが第一となります。それには、一般世間の人々に嫌われたり、反感を持たれることが一番のマイナスです。それ故、創価学会では、昭和40年代半ば以降、「邪宗」という呼び方を「他宗」に変え、「折伏」を「仏法対話・友好活動」に切り換えました。
 これは明らかに、世間からの批判を受けないための軟風化(なんぷうか)路線への転落です。
 かつて、日興上人以外の五老僧が、世間からの批判や迫害を恐れて軟風化し、ついに邪宗謗法を容認するに至りましたが、軟風化した創価学会も、やがて
◆広布のため、友好の輪を拡(ひろ)げるため、地域社会貢献のためという目的観があれば、神社仏閣の行事に参加してもよい。それ自体、謗法であることは否定できないが、ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、それを越える善根を積んで帳消しにするのである。つまり、それが謗法であると自覚できる人なら、自らの責任において、あえて犯(おか)してもよいといえる(趣意『大白蓮華』S49.7)
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などと称して、邪宗謗法を容認するようになったのです。
 これは、『日興遺誡置文』に明記された、
●檀那(だんな)の社参物詣(ものもう)でを禁ずべし(御書P1884)
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との制戒に背(そむ)く大謗法であります。
 以上のように、選挙活動=仏道修行と立てたことにより、創価学会の謗法化はいちだんと進み、多くの会員を謗法の失(とが)で地獄に堕とすこととなりました。公明党の集票活動に狂奔(きょうほん)したあげく、一家離散したり、事業に失敗して夜逃げしたり、職を失って経済苦のドン底に沈んだ学会員が、全国に数えきれぬほどいるのがその実証に他なりません。
 学会員諸氏には、早くその誤りに気付いて脱会し、正法の純粋な信心に立ち還(かえ)るべきであります。

平成8年8月18日、深川祭りで御輿を担ぐ公明議員。TBSの取材に答えて”これも選挙のため”と!

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